03年はシーズン開幕から順調に勝ち続けた。7月8日には今季初の7連勝で優勝へのマジックナンバー49が点灯。8月16日の巨人戦(東京ドーム)では井川が3安打完封勝利で15勝目。1985年以来18年ぶりの巨人戦勝ち越しを決め、70勝に到達した。そして迎えた9月15日。優勝へのマジックナンバー2で迎えた広島戦は赤星のサヨナラタイムリーで勝ち、マジック対象のヤクルトが横浜(現DeNA)に敗れたため、阪神は18年ぶり、2リーグ分立後4度目のリーグ優勝を決めた。暗黒を彷徨った虎を〝火の玉軍団〟に変貌させた闘将・星野仙一は甲子園球場の夜空に7度、舞った。
絶望的な敗者から夢あふれる勝者に変わった。その分岐点はなんだったのか。いみじくもリーグ優勝する数日前、単独インタビューに答えた久万オーナーの言葉が全てを表している。当時の記事を抜粋する-。
--優勝を得た要因は
「これまでウチのスカウト部門は弱かった。それを星野が補い、戦力を効率よく調達したことです。これまでウチは与えられた戦力をよく鍛え、戦術で(戦力不足を)補うという伝統があった。しかし、長い低迷でそういう伝統が枯れた。星野は『ないものは外から買う』という考え方でうまく補ったと思う」
--金本や伊良部ら新戦力がよく働いた
「長所短所を(星野は)よく観察しながら、ウイークポイントを埋めていった。お金を使いましたがね…。しかし、これは阪神らしくないチームの作り方かもしれない」
--野村監督から星野監督への継承で万年Bクラスのチームが優勝。今後のチームづくりは…
「監督じゃあなくてフロントです。フロントよ、しっかりせい!と。より高度になった野球を見ていくには、よりレベルの高い人(フロント)でないと(選手を)育てることも、獲ってくることも難しくなる。レベルの高いフロントが内から(監督やコーチを)育てあげることが理想です」
つまり、オーナーが言いたかった核心は『本来は球団フロントのする仕事を星野監督が行い、チームは変わった。しかし、これは阪神が目指す本来の姿ではない。フロント主導のチームづくりの先に常勝チームがあるべきだ』。結果は18年ぶりの優勝だったが、そのプロセスはじくじたるものがある…と言いたかったのだ。
逆に言うなら、このことこそ星野監督ならではの手腕といえる。阪神タイガースが長く低迷した原因であり、全く頼りにならない部分を全部、自分でやり遂げてしまった。久万オーナーは星野仙一の予想を超えたマンパワーに畏怖し、球団経営の危機すら感じ取ったのかもしれない。
18年ぶりの優勝がカウントダウンとなる舞台裏でうごめいたオーナーと闘将。(来週に続く。最終章は『役員会で全員反対! 闘将の魂はタイガースに残り、今も息づいていると信じたい』-)
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【プロフィル】植村徹也(うえむら・てつや) 1990(平成2)年入社。サンケイスポーツ記者として阪神担当一筋。運動部長、局次長、編集局長、サンスポ特別記者、サンスポ代表補佐を経て産経新聞特別記者。阪神・野村克也監督招聘(しょうへい)、星野仙一監督招聘を連続スクープ。