今ここで、再び闘将・星野仙一を語りたい-。プロ野球のペナントレースは東京五輪の中断期間を明け、今週末の13日から再開される。2005年以来、16年ぶりのリーグ優勝を目指す矢野阪神は広島3連戦(京セラ)から残り59試合の激戦を戦う。18年前の03年、星野仙一監督率いる阪神は9月15日の広島戦にサヨナラ勝ちし、マジック対象チームのヤクルトが敗れた瞬間、1985年のリーグ優勝&日本一以来、暗黒を彷徨(さまよ)っていたチームを18年ぶりのリーグ優勝に導いた。それから18年後、矢野燿大監督は夢を果たすのか-。短期集中連載『闘将が虎を抱きしめた夜』の第5話は「20億円を用意してくれ! そして闘将は2003年9月15日、甲子園球場の夜空に舞った-」。
だから、タイガースはバカにされる
いつか来た道…。いつもの道…。まさに竜頭蛇尾だった。星野仙一監督が阪神を率いた1年目のシーズンは66勝70敗4分けの4位に終わった。監督就任会見で「目をつり上げて、火の玉のごとく戦えるような人間を育ててみたい。私は鬼になる」とほえた闘将だったが、シーズン途中から選手たちの野球に対する姿勢に首をかしげ、故障者続出にお手上げ状態で結果はBクラスに終わった。4年連続の最下位からは脱出したものの、されど4位…。
しかし、苦しいチーム状態に陥ったとき、闘将はそれまでの阪神監督とは決定的に違う行動を開始していた。まだ世の中がお盆休暇を過ごしている時期に、広島・金本知憲外野手へのアプローチを始め、水面下で補強プランを練った。同時に戦力外選手のリストアップも進めた。このオフ、引退や自由契約、トレードなどで阪神のユニホームを脱いだ選手は24人。
星野伸之、伊藤敦規、遠山奨志、弓長起浩、葛西稔らが引退。ハンセル、カーライル、ホワイト、バルデスらがチームを去った。
加入した選手も書いておこう。フリーエージェント(FA)補強で広島から金本知憲外野手、日本ハムとのトレードで下柳剛投手、野口寿浩捕手、中村豊外野手、大リーグから日本球界に復帰した伊良部秀輝投手、新外国人選手としてジェフ・ウィリアムス投手とジェロッド・リガン投手。 球団史上、過去に例のない大量リストラ&大補強を断行した闘将は、ある記者から大量リストラに疑問を投げかけられた瞬間、こう話している。
「これだけ解雇や引退、トレードに選手を出してチームは大丈夫ですか? 70人枠を確保できますか」
「じゃあ聞くけどな。今まで、チームに不要な人間が20数人いたんやで。そっちの方がおかしいやろ。だから、タイガースはバカにされるんや!」
出されたグループ会社の「連結決算表」
チームの大改革のためには「私は鬼になる!」。まさに有言実行だった。そして、大補強には補強資金が必要となる。忘れられない…そして、これが闘将がわずか2シーズンで阪神監督を辞する〝伏線〟となった出来事がある。
シーズンが終了して、数日後。10月20日過ぎの夕刻だった。京都の亀岡方面でゴルフをした帰り道だった。車を運転していると私の携帯が鳴った。表示を見ると「星野仙一」-。
慌てて車を道路わきに寄せて電話を取ると…。
「ワシや。今なぁ、サンフランシスコにおるんや」