深層リポート

山形発 禅会寺の山門の謎解明へ 江戸後期の陣屋の正門移築か

江戸後期の長瀞陣屋の正門の可能性が高まった禅会寺の山門=山形県東根市長瀞(柏崎幸三撮影)
江戸後期の長瀞陣屋の正門の可能性が高まった禅会寺の山門=山形県東根市長瀞(柏崎幸三撮影)

山形県東根市長瀞の禅会(ぜんえ)寺。山形城4代城主の最上満家(もがみ・みついえ)の菩提(ぼだい)寺として知られる同寺の山門がいつ造られたものなのか、謎とされてきた。山形大学の永井康雄教授(59)らの調査で山門は江戸時代に長瀞藩の役所が置かれた陣屋の正門が移築された可能性が高いことが分かった。同寺の佐々木邦夫住職(67)は「長い間の疑問が確証に変わった思い」と胸をなでおろした。

寺に残る言い伝え

禅会寺の山門は、幅3・29メートル、奥行き2・43メートルの切妻造りの鉄板ぶきで、2本の本柱の背後に控柱を立てた豪壮な薬医門だ。

薬医門は、矢の攻撃を食い止める「矢食(やぐ)い」からきたともいわれ、両開きの扉がある。禅会寺の山門は大振りの饅頭(まんじゅう)金物が左側に2個、右側に1個ついている特徴的な造り。寺の門には不要と思えるような、銃弾や槍(やり)による損傷を減らす鉄鋲も打ってある。なぜこのような造りの山門が同寺に、しかもいつからあるのか謎だった。

平成4年12月、同寺の住職になった佐々木住職は、檀家(だんか)との会合で寺にまつわる言い伝えを聞いた。

「この寺の山門は、長瀞陣屋の正門を移築したもので、明治になり廃藩置県で壊されてしまうのはもったいないと禅会寺に移されたそうです」

ただ、別の寺でも移築の言い伝えがあり、根拠となる資料もなかった。東根市教育委員会に調査を依頼しても解明は進まなかった。

2度の火災免れた門

「山門や本堂の保存を考えていかねば」と本格的に考え始めた佐々木住職は、建築史を研究している永井教授に調査を依頼。同大高感度加速器質量分析センター長の門叶(とかない)冬樹教授(51)の協力で、山門の部材を炭素割合から年代測定したところ、梁(はり)は1815~38年、丸桁は1810~44年と判明した。年代として、言い伝えにある長瀞陣屋の門である可能性が高まったのだ。