悲願の金メダルを目指す野球日本代表「侍ジャパン」は7日午後7時、決勝で米国と対戦する。リリーフとして投手陣を支えるのが、強豪校ではない高校出身ながら日本代表に選ばれるまでに成長した平良海馬(かいま)(21)と岩崎優(すぐる)(30)だ。「非野球エリート」の投手2人がチームを優勝に導く。
「想像を超えるピッチャーになった」。160キロを超える速球を武器にプロ野球西武ライオンズで今シーズン、前人未到の39試合連続無失点という記録を作った平良。沖縄県立八重山商工高校(同県石垣市)で指導した末吉昇一さん(39)は教え子の活躍に目を細める。
中学時代は捕手だったが、末吉さんは高1で140キロをたたき出す速球に注目した。
投手に向いている。そう考えた末吉さんが、最初に鍛えたのは精神面だった。
当時の同校は部員が足らず、他校と連合チームを組んで公式戦に臨むこともあった。失敗した味方にイライラした態度を見せる平良に、厳しく対峙(たいじ)した。「野球以前のことができなければ練習させない」。遅刻してきたときは、ひたすら草むしりを課したこともあった。
その積み重ねは、平良を人間的に成長させた。エラーしたチームメートに「切り替えていこう」と落ち着いて声をかけられるようになった。2年の終わりには球速が150キロを超え、剛速球投手として知られるようになり、念願のプロ入りを果たした。
今回、侍ジャパン入りが決まると、末吉さんに「日の丸を背負って頑張ります」と連絡をしてきたという平良。末吉さんは若き侍にこうエールを送る。「金メダルの瞬間、マウンドに立っていることを期待しているぞ」
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甲子園が遠い高校からプロ入りを果たしたのはサウスポーの岩崎も同じだ。
「線が細く、体も弱かった」。静岡県立清水東高校(静岡市)入学時をこう振り返るのは当時監督として指導した羽根田暢尚(のぶひさ)さん(56)だ。180センチを超える長身の岩崎だが、特徴のある投手ではなかった。
それでも羽根田さんが驚いたのは1年生で進路について面談した際、「プロ野球選手になりたい」と断言したことだった。同高校はサッカーの強豪校として有名だが、野球で甲子園に出場したのは40年以上前だった。
岩崎の決意を前に、そこから〝改造計画〟がスタートした。体力づくりに加え、二塁手の守備位置でゴロを捕球し、三塁に投げる変則的な練習で体の使い方を教え込んだ。成果が表れてきたのは2年の冬。「球がソフトボールの大きさに見るぐらい」まで、球威が増してきた。
野球に対する真摯(しんし)な姿勢は誰にも負けない。「どんな練習でも『嫌』ということがない」と羽根田さん。高3の夏は、県大会で敗退した翌日からグラウンドで下級生と一緒に練習していた。
甲子園出場はかなわなかったが、国士舘大学から声がかかり、大学卒業後に阪神タイガースへ入団。今では球界屈指の中継ぎ投手となった。
今大会では2日の準々決勝で登板し、ピンチの場面で1球で打者を打ち取り、後続にマウンドを託した。
羽根田さんは、「与えられた役割を徹底して果たす仕事人として周囲の期待に応えてほしい」とエールを送った。(橋本昌宗、塔野岡剛)