東京五輪第15日の6日、日本武道館で行われた空手組手で、男子75キロ級の西村拳(けん、25)は予選リーグで敗退した。準決勝進出を目前にした試合の終了間際、残り1秒を切ってから逆転を許す劇的な幕切れ。「自分の弱さが出てしまった」。恩師の教えを胸に挑んだ初めての五輪は悔しさの残る結末となった。
五輪開幕を前に、今は亡き恩師、木島明彦さん(享年72)の墓前にいた。「拳、気張れよ」。活を入れられた気がした。木島さんは近畿大空手道部で師事した監督で、2018年に病で世を去った。口癖は「勝ちにこだわれ」だった。
1982年の世界選手権を制した父、誠司さん(65)の下で、西村が空手を始めたのは7歳の頃だ。稽古は週に1回ほど。小学4年で挑んだ初めての試合はあっけなく敗退した。誠司さんは「天才でも、昔から強かったわけでもない」と明かす。
中学1年の頃だ。今大会にも出場しているアゼルバイジャンの空手家、アガイエフ(36)が170センチに満たない体で、2メートル近い相手を豪快に倒す姿を目にして、稽古に本腰を入れるようになった。
「空手に関してはぜいたくをさせた」と誠司さん。福岡の実家ではトップ選手の映像に見入り、試合見物に東京までたびたび足を運んだ。海外でも指導した誠司さんに同行し、現地の大会で優勝したこともある。
強豪の宮崎第一高(宮崎)でも、空手漬けの日々を送り、インターハイを制覇するまでに。その強さの根幹には、柔軟な姿勢がある。近大空手道部で2学年上の工藤開(かい)さん(27)は入部直後の西村の姿を回想する。
「何がいけないんでしょうか」。恩師や部員たちに助言を求めて回った。自身の技に対する評価にとどまらず、ライバルの特徴に至るまで、真摯(しんし)に、そして貪欲に吸収した。こうして柔軟かつ変幻自在な攻撃を身に付けた。「いずれ、トップに立つだろうな」。工藤さんは、そう直感したという。
この日、予選リーグの最終試合では、最終盤まで相手をリード。勝利は確実かと思われたが、試合終了わずか1秒前、相手の蹴りが喉元に突き刺さり、まさかの逆転負けを喫した。
目指したメダルにはあと一歩届かず、目標にしてきたアガイエフとの対戦もかなわなかった。
予選敗退後、西村は「逃げるにしても攻めるにしても、中途半端だった」と絞り出すように語った。
試合を見守った工藤さんは「この負け方は次に必ず生きると思う。日本の代表として戦うことは誰にでもできることじゃない。よく頑張ってくれた」とねぎらった。頂点を目指す旅は、これからも続いていく。(鈴木俊輔、根本和哉)