【話の肖像画】評論家・石平(59)(6)科挙合格者も出した富農の石家(1/2ページ) - 産経ニュース

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評論家・石平(59)(6)科挙合格者も出した富農の石家

2歳くらい。出身は四川省の成都
2歳くらい。出身は四川省の成都

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《出身は、中国中西部に位置する四川(しせん)省の省都、成都(せいと)市。かの三国志で「蜀(しょく)」の国があった所だ》


石家は代々、四川盆地で、成都から少し離れた徳陽(とくよう)県下の村を本拠にしていた一族です。明朝の終わりから清朝の初めにかけて、大規模な農民一揆が起こって大虐殺が行われ、四川の人口が減ってしまい、その時に周辺から流入して住みついたと聞いています。

一族は地方の素封家で、科挙(官吏登用試験)の合格者も出しています。清の康熙(こうき)帝の時代には、下のランクの「秀才」に何人か。乾隆(けんりゅう)帝のときには、さらに上のランクである「挙人(きょじん)」も出たというのですが、詳しくは分かりません。おそらく彼らは、官僚や地元の顔役のような仕事に就いていたのでしょうね。

一方、母方の家も四川出身で、こちらは代々、漢方医の家柄でした。


《中国共産党が政権を握り、農村の人々は、地主、富農、中農、貧農に分けられる。地主に近いほど「悪」とされ、石家は、富農と決められた》


地主は、共産党によってみな殺されました。富農も、そこまではされなかったのですが、「悪」であることに変わりはありません。父親も、共産党の天下では高い地位に就くことは到底望めませんでした。


《石平さんが生まれたのは1962年。両親はともに大学教員だった》


父は、四川の師範大学で物理学部の副教授、母も同じ大学の講師でした。両親はそこで知り合い、結婚します。生活は、すべて大学の中で完結しており、私も大学内にあった幼稚園に通っていました。