14歳のエース玉井に託した「57年前の教訓」 1964年東京大会代表の馬淵さん

子供たちを指導する飛び込みコーチの馬淵かの子さん(中央)=2日午後、兵庫県宝塚市(鳥越瑞絵撮影)
子供たちを指導する飛び込みコーチの馬淵かの子さん(中央)=2日午後、兵庫県宝塚市(鳥越瑞絵撮影)

日本飛び込み界が誇る天才少年、14歳の玉井陸斗(JSS宝塚)が6日午後3時開始の男子高飛び込み予選に登場する。素質を見いだしたのは、名門JSS宝塚(兵庫県宝塚市)創設に携わった馬淵かの子さん(83)。自身は前回東京五輪で、重圧に押しつぶされた苦い経験を持つ。日本勢が初参加した1920年アントワープ大会から101年。いまだ手にしたことのないメダル獲得に挑むまな弟子へ「平常心で飛んでほしい」とエールを送る。

飛び込みコーチの馬淵かの子さん=2日午後、兵庫県宝塚市(鳥越瑞絵撮影)
飛び込みコーチの馬淵かの子さん=2日午後、兵庫県宝塚市(鳥越瑞絵撮影)

1964年10月。当時26歳だった馬淵さんは、経験したことのない大歓声と拍手を浴びた。東京五輪の女子板飛び込み予選。静寂を促すアナウンスも観客の耳には届かない。「膝はがくがくで全部すっとんだ。最悪の思い出」。集中力は途切れ、簡単な技を失敗した。結果は7位。3度目の五輪で確実視されていたメダルを逃した。

「私の二の舞になってほしくない」。自身の経験を後世に伝えるべく、36歳で引退後は指導者になった。当時、練習拠点は夏場しか使えない外プールのみ。年間を通じて使える強化拠点が必要と考え、スポンサー探しに奔走した。市議会に陳情にいったこともある。そして78年、宝塚市に競泳用プールができると聞き、「飛び込みで五輪選手を出します」と説得。競泳用プールの横に、民間では日本初となる屋内飛び込み専用プールが完成した。

メダル獲得のため、89年には本場中国から語学留学に来ていた元選手の蘇薇(スーウェイ)(現・馬淵崇英)さんをコーチに迎え入れた。陸上練習を重視し、倒立やバック宙、柔軟などに時間を割く蘇薇の指導は、「まるでサーカス」(馬淵さん)。中国では主流だったロープで体を釣り上げて空中感覚を養う補助器具「スパッティング」も材料を調達して見よう見まねで作った。1時間も壁倒立を強いるような厳しい練習に逃げ出す選手もいたが、五輪6度出場の寺内健(ミキハウス)ら世界レベルの選手を次々輩出するクラブへ成長を遂げた。

飛び込み・馬淵崇英コーチ(右)と話すコーチの馬淵かの子さん=2日午後、兵庫県宝塚市(鳥越瑞絵撮影)
飛び込み・馬淵崇英コーチ(右)と話すコーチの馬淵かの子さん=2日午後、兵庫県宝塚市(鳥越瑞絵撮影)

東京五輪代表11人のうち、4人の教え子を送り出した馬淵さんが「天才」と称賛するのが玉井だ。史上最年少の12歳で日本室内選手権を制した逸材に、悲願が託された。世界の厳しさを知るだけに「そんな生易しいものじゃない」と断ずるが、「彼は彼なりにレベルが上がっている」と成長を認める。前回東京大会の悔し涙から誕生した〝聖地〟で、馬淵さんは「もっと高く飛んだろうと思ったら失敗する。飛び込みは頑張ったらあかん。普段の力を出して」と願う。57年前の教訓を胸に、教え子が恩師の「忘れ物」を取りに行く。(川峯千尋)

子供たちを指導する飛び込みコーチの馬淵かの子さん=2日午後、兵庫県宝塚市(鳥越瑞絵撮影)
子供たちを指導する飛び込みコーチの馬淵かの子さん=2日午後、兵庫県宝塚市(鳥越瑞絵撮影)

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