天才と苦労人の五輪、表彰台に届かず セーリング岡田・外薗組

セーリング男子470級のメダルレースに出場した岡田奎樹(左)、外薗潤平組。総合7位だった=8月4日、江の島ヨットハーバー沖
セーリング男子470級のメダルレースに出場した岡田奎樹(左)、外薗潤平組。総合7位だった=8月4日、江の島ヨットハーバー沖

大会終盤に崩れた東京五輪セーリング男子470級の岡田奎樹(けいじゅ)(25)、外薗(ほかぞの)潤平(30)組は、表彰台を逃し総合7位。「いい成績で終わりたかった」。ジュニア時代からトップを走る岡田と、高校から競技を始めた外薗。天才と苦労人が挑んだ初の五輪は涙で終わった。

父親の正和さん(53)の影響もあり、5歳からヨットに乗り始めた岡田。年上の強豪ジュニア選手にもまれるなか、ひたすら速さを追究した。「一切の妥協を許さない」(正和さん)性格で、帰宅後もビデオを見たり、風呂に船のおもちゃを浮かべたりして、その日のレースを振り返っていた。

「風を読む天才」と称される25歳は、地形の関係で風向きが変化しやすい大分・別府や福岡の海で鍛えられた。

少年時代に所属していた「B&G福岡ジュニアヨット海洋クラブ」の河内孝明会長(62)がレース後、「なぜ、あそこでタック(方向転換)したの?」と尋ねると、岡田は「カモメが教えてくれた」。河内会長は「経験から来る感覚を、言葉で説明できなかった当時の彼なりの表現だったのだろう」と推測し、岡田のセンスの高さに太鼓判を押す。

そんな才能とペアを組む外薗は、15歳で陸上長距離から転身した「遅咲き」。若いころから苦労を重ねた。

鹿児島商高への進学を機にヨット部に入った。もともと海好きだった外薗は「部活の合間に釣りができる」。セーリングに出合ったのは、そんな軽い気持ちからだった。

帆で受ける風の動力だけで、ゴールを目指し大海原を進む-。予測できない自然相手の魅力に、どっぷりとはまっていった。練習先の地元のヨットハーバーでは、経験者の小学生にも上達方法を尋ねた。同校でヨット部顧問だった山下太陽さん(39)は「『海を速く進みたい』。その一心だった」と振り返る。

セーリング男子470級のメダルレースを終えた岡田奎樹(左)、外薗潤平組。総合7位だった=8月4日、江の島ヨットハーバー沖
セーリング男子470級のメダルレースを終えた岡田奎樹(左)、外薗潤平組。総合7位だった=8月4日、江の島ヨットハーバー沖

強豪の日本経済大を経て、一般採用でJR九州に就職。当初はスポーツの優遇制度の対象とはならず、駅員や車掌を勤める毎日だった。海に出るのは月に1回程度。それでも実直なその性格の通り、地道にトレーニングを重ねた。

九州出身の天才と苦労人はやがてペアとなり、世界の海に挑むようになった。

東京五輪の上位10艇による最終のメダルレース。終盤の崩れが響き、総合7位で終幕した。「人生で一番濃い、脳みそが破裂するんじゃないかというくらいの情報に思考が追い付かない。それが五輪」。独特の表現で岡田がこう振り返ると、外薗は「実力不足だったかなと思う。日本開催で、最後はいい成績で終わりたかったなという悔しい思いもある」と残念がった。(花輪理徳、中井芳野)

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