平野歩夢「誰もやってないことを」ボードで初の夏冬五輪二刀流

【東京五輪2020 スケートボード】スケートボード男子パーク予選 平野歩夢の3回目の演技=5日、有明アーバンスポーツパーク(恵守乾撮影)
【東京五輪2020 スケートボード】スケートボード男子パーク予選 平野歩夢の3回目の演技=5日、有明アーバンスポーツパーク(恵守乾撮影)

二刀流は大リーグの大谷翔平の専売特許ではない。2014年ソチ五輪と18年平昌五輪のスノーボード男子ハーフパイプでいずれも銀メダルを獲得した平野歩夢(22)が5日、東京五輪のスケートボード男子パークに出場。決勝進出はならなかったが、ボード系スポーツで初の夏冬二刀流のオリンピアンとして、歴史に名を刻んだ。

スノーボードの世界で知らない者はいない。14年ソチ五輪で冬季最年少メダリストとなり、18年平昌五輪でも銀メダル。4歳から地元・新潟県村上市のスキー場で技を磨いたが、ほぼ同じころからスケートボードでも腕を鳴らしていたのは地元では知られていた。

地元のお祭りでスケートボードをする5歳の頃の平野歩夢=平成16年8月、新潟県(佐藤巧さん提供)
地元のお祭りでスケートボードをする5歳の頃の平野歩夢=平成16年8月、新潟県(佐藤巧さん提供)

村上市の夏は長い。

スノーボードができる期間は短く、夏はスケートボードに励む時間が長かった。平野の後援会理事長、佐藤巧さん(68)は「スケートボードはスノーボードの延長線上にあり、二刀流というより一本の名刀」と表現する。

「不良のスポーツ」とみられ、練習環境の乏しかったスケートボード。00年ごろ、練習場を作ったのは、平野の父だ。平野は兄弟3人で、転んですりむいても痛いと騒いだり泣いたりもせず、毎日のように練習に励んだという。

一足早く五輪種目となったスノーボードでの活躍が始まってからも、スケートボードには乗り続けた。

平野歩夢が幼少時に練習していた「日本海スケートパーク」。現在は閉業している=7月28日午後4時1分、新潟県村上市(永井大輔撮影)
平野歩夢が幼少時に練習していた「日本海スケートパーク」。現在は閉業している=7月28日午後4時1分、新潟県村上市(永井大輔撮影)

17年3月のスノーボードの大会で空中で体勢を崩して落下し、大けがを負った後も、4カ月後にはフランスの雪山で昼間は屋外でスノーボード、夜には室内でスケートボードの練習をしていた。同行した友人の田中全亮(まさき)さん(43)には「俺はスケボーも好きなんだ」と話したという。

東京五輪にスケートボードが採用されると、名乗りを上げた。俺のいないところでスケボーの一番を決めるな-。田中さんはそんな思いを感じたという。

大会前、「誰もやったことのないことをやりたい」と話していた平野。次のメダルの機会は22年北京五輪。1年後に迫っている。(永井大輔)

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