勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(283)

堤イズム 野球人たる前に社会人たれ

初優勝を喜ぶ西武・大田卓司外野手(左)と田淵幸一内野手
初優勝を喜ぶ西武・大田卓司外野手(左)と田淵幸一内野手

■勇者の物語(282)

西武の勢いは止まらなかった。近藤貞雄監督率いる中日との日本シリーズを4勝2敗で制覇。一気に「日本一」に駆け上がったのである。

◇第6戦 10月30日 ナゴヤ球場

西武 004 000 212=9

中日 004 000 000=4

(勝)小林2勝1敗 〔敗〕鈴木1敗 (S)東尾2勝1敗1S

(本)大田②(三沢)片平①(鈴木)テリー①(鈴木)

「私にできたことは〝お膳立て〟だけ。実際に日本一に上りつめたのは選手たちです」。歓喜の中で広岡監督は選手をたたえた。

「これで江夏や浩二(山本)と会っても話が通じる」と田淵が笑った。例の計画は? 「巨人に勝ってから」と田淵が東尾を抑えてまた先送り。

球団4年目での日本一。成功の要因を堤オーナーはこう答えた。

「根本を残したことでしょうね。根本の目を見て、信頼できる男と思いました。その彼が選んだ監督ですから」

昭和54年、阪神から新生「西武ライオンズ」に移籍した田淵は衝撃を受けたという。『第一級のスポーツマンには高い品位がなくてはならない。野球人たる前に社会人たれ』と堤オーナーの大号令で選手全員の「意識改革」が行われた。

全員に「名刺」が配られた。初めて会う人には必ず名刺を差し出して挨拶しろという。もちろん、その際のお辞儀の仕方、頭を下げる角度、髪の長さ、爪を不潔にしてはいないか―まで指導された。色の違う幾つものブレザーとスラックスも支給され、遠征の際の移動には全員「制服」の着用が義務づけられた。

その考え方は広岡の選手教育とよく似ている。ヤクルトの監督に就任したときのこと。初めての秋季練習で広岡がまず最初に選手に命じたことは〝歩き方〟。「正しい姿勢で歩くことがすべての基本」と、選手全員で大きく手を振り「イチ、ニ、サン」と声を出してグラウンドを大行進させたのである。

堤オーナーの声は弾んでいた。記者たちが「ご褒美はドーム球場ですか?」と質問すると―。

「いま、費用を試算中です。20億ぐらいならすぐ造ります」と言ってのけた。(敬称略)

■勇者の物語(284)