勝利の咆哮が、父に、沖縄に届いた。レスリングの男子グレコローマンスタイル77キロ級で、3日の3位決定戦に臨んだ屋比久(やびく)翔平(26)。「後半勝負」という父の保さん(58)の教え通り、第2ピリオド、相手を持ち上げてひっくり返す大技が炸裂。初出場の五輪で銅メダルを射止めた。
沖縄県宜野湾(ぎのわん)市の実家には、赤のシングレット(レスリングのユニホーム)を着て椅子に座る、丸々とした体格の赤ちゃんの写真がある。レスリング選手だった保さんが、息子の生後100日を記念し地元で撮影してもらった。胸元の日の丸は保さんが縫い付けた。
かつて全日本選手権も制した名選手。だがけがもあり、五輪には縁遠かった。続きを、息子に託した。
タックルや投げ技の練習に使われる1・5メートル大の人形を父が支え、息子がタックルを繰り返す「100本タックル」に明け暮れた。
父がレスリング部監督を務めていた浦添工高で頭角を現し、日本体育大を経て五輪を視界にとらえる。今年4月の東京五輪アジア予選で2位となり、「おやじの夢を果たせた」。メダルが、自身の目標になった。
2日の2回戦で敗れて迎えた3日の3決。保さんは午前中、「前半を守り、後半に相手が焦ったところが勝負」とメッセージを送っていた。息子は、それをまさに体現した。
第1ピリオドを乗り切り、疲れで相手の動きが鈍くなってきた第2ピリオドに反転攻勢。相手を抱え込み、1回転させる大技を繰り出し、勝負を決めた。
保さんは「お疲れ様と伝えたい」。母の直美さん(52)は「今日だけは、『強かったね』と褒めます」と喜んだ。
沖縄県出身のレスラーとして初の五輪でもあった。父の思い、県民の期待に応えた。でもメダルをかけてあげたい相手は、ほかにもいた。「明後日、息子が誕生日なんです」。大汗を満足げにぬぐった。
(森西勇太)