【話の肖像画】評論家・石平(59)(3)スパイ工作にたけた中国共産党(1/2ページ) - 産経ニュース

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評論家・石平(59)(3)スパイ工作にたけた中国共産党

産経適塾の講師にも=平成20年、大阪市
産経適塾の講師にも=平成20年、大阪市

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《中国の共産党軍は1949年、国民党軍との内戦に勝利し、現在に続く中華人民共和国を打ち立てた。なぜ、共産党軍はアメリカが支援する国民党軍に勝つことができたのか》


大きな理由のひとつは「諜報工作」です。中国共産党は、国民党の中に入り込み、〝がん細胞〟のように内部から食いつぶしていく手法にたけていた。

例えば毛沢東は戦前、共産党員のまま、国民党の中央宣伝部幹部に就いていたことは日本ではあまり知られていません。周恩来も、国民党軍の黄埔(こうほ)軍官学校の政治部主任でした。(共産党の)人民解放軍はもともとは、国民党軍の一部を乗っ取ってできたものですからね。後に、解放軍の元帥となった何人かは国民党軍出身です。

国共内戦(1946~49年)のとき、共産党は多くのスパイを国民党軍の司令部にまで浸透させていました。天下分け目の決戦となった淮海(わいかい)会戦(1948年11月~49年1月)では、共産党軍側は、国民党軍の戦略や兵力配置などの機密情報をいち早くつかんでいました。実に約20年も前からスパイを浸透させ、その人物が国民党軍の作戦部門の幹部にまでなっていたからです。情報が全部、筒抜けになっているのだから国民党軍が勝てるわけがありません。共産党軍の諜報工作は(国民党軍を支援する)アメリカの予想を超えていたと思いますね。


《周恩来元首相が諜報部門のトップだった》


共産党と紅軍(こうぐん)時代からの軍部の諜報部門を束ねていました。つまり、スパイ機関の親玉。最初にやったのが共産党に敵対する勢力に対する暗殺部隊をつくることでした。これもあまり知られていませんが、毛沢東はそのとき、周恩来の部下だったのです。

周恩来は政治家として「人民の宰相」などと聖人君子のようなイメージがあるようですが、実際にはまったく違う。僕にいわせれば、彼ほど腹黒く、保身のために、側近や養女まで犠牲にした人間も珍しい。