柳田悠岐、3つの「信念」背負い目指す金 「侍」米にサヨナラ、準決勝へ

【東京五輪2020 野球 準々決勝】<日本対アメリカ>9回、同点を呼び込む内野ゴロを打った日本・柳田悠岐=横浜スタジアム(撮影・松永渉平)
【東京五輪2020 野球 準々決勝】<日本対アメリカ>9回、同点を呼び込む内野ゴロを打った日本・柳田悠岐=横浜スタジアム(撮影・松永渉平)

東京五輪の野球で2日、準々決勝の米国戦に勝利した「侍ジャパン」。6番中堅で出場した柳田悠岐(32)は、国際主要大会で初めて日の丸を背負い、東京五輪を野球人生の集大成と位置付けている。活躍を支えるのは「できることをやる。チームのためにやる。素質だけで今があるのではない」という3つの信念だ。

5-6と劣勢のまま迎えた九回裏、これまで4打数2安打と当たっていた柳田は1死一、三塁から変化球に体勢を崩されながらも高いバウンドのゴロを放ち、三塁走者がホームイン。試合を振り出しに戻し、十回裏タイブレークのサヨナラ勝ちを呼び込んだ。

小学3年から野球を始め、名門の広島商高へ入学したが、当時はまったくの無名選手だった。

「入学当時は体も細く、身長170センチほど。『あまり、うまくないな』という印象だった」

2学年先輩で広島市の広島商高と広島経済大で柳田とともに過ごした同大野球部監督の堤裕次さん(35)はそう振り返る。

夏の県大会も敗退し、甲子園出場はかなわなかった。その悔しさをバネに、市内のジムで肉体改造に取り組んだ。大学入学後は、毎日居残りで2~3時間バットを振った。当時、同大監督の龍憲一さんから「三振してもいいから、しっかり振れ」と助言を受け、代名詞のフルスイングも磨いた。

野球の練習とトレーニング、栄養と休養を徹底し、体重は高校時代の60キロ台から90キロまで増やし、飛距離も大幅に伸ばした。

「自分ができることは限られる。できることはやっていきたい」。柳田は堤さんにそういつも語っていたという。

米大リーグのレッドソックスが視察する存在にまで成長したのは、地道な努力を続けた結果だ。いまやプロ野球ファンなら言わずと知れた福岡ソフトバンクホークスの左の強打者となった。

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