同じ少年野球チームで白球を追った同級生の2人が、世界の頂点を狙う野球日本代表「侍ジャパン」の投打の顔に成長した。兵庫県伊丹市出身の田中将大(まさひろ)(32)と坂本勇人(はやと)(32)。ライバル関係にあった2人は球界の星となり、東京五輪で同じユニホームに身を包む。偶然か必然か。関西から始まった2人の物語が再び動き始めた。
グラウンド左手にある小学校の校舎4階の壁まで打球を飛ばせばホームラン―。伊丹市を拠点とする少年野球チーム「昆陽里(こやのさと)タイガース」の打撃練習には、こんなルールがある。
約20年前、ホームベースから約70メートル離れた校舎に軽々とボールを直撃させる少年がいた。当時捕手だった田中だ。まじめに、黙々と。どんな厳しい練習でも音を上げたことはない。監督として指導した山崎三孝(みつたか)さん(76)は「何事も粘り強く続ける子だった」と目を細める。
そんな姿を、面白くない顔で見ていた別の少年がいた。当時スイッチヒッターだった坂本。左打席では、どうしても左方向の校舎に打球を飛ばすのに不利になる。チームの独自ルールの中で田中に対抗すべく、いつしか右打ちに専念するようになった。
坂本の野球センスは抜群だった。上級生が緊張で思うようにバットを振ることができない中、小1の坂本は初めて出場した試合でいきなりヒットを放った。
「負けず嫌いの勇人は、1番でないと気が済まないガキ大将。一方の田中は感情を表に出さないタイプだった」(山崎さん)
努力家の田中と天才肌の坂本。ある意味で水と油だった2人は、当時から互いを意識した。試合で坂本が活躍すると、田中の打撃フォームは自然と乱れた。
坂本は5年生まで遊撃手が定位置だったが、6年から投手に転向。1年間、田中とバッテリーを組んだのは有名だ。しかし相性は悪かった。山崎さんは「性格が正反対だからね」と苦笑する。
昆陽里タイガースを巣立った2人は別々の道を歩んだ。甲子園を目指し、田中は北海道の駒大苫小牧高、坂本は青森の光星学院高(現・八戸学院光星高)へ。実力でプロの扉を開くと、田中は楽天と米大リーグ、坂本は巨人でそれぞれ主力に。伊丹で育った2人は、いつしか球界を代表するスターとなった。
東京五輪の1年延期。そして田中の日本球界への復帰。2人は今、運命に導かれるように同じ日の丸のユニホームに身を包む。
坂本は1次リーグ初戦のドミニカ共和国戦でサヨナラ打を放ち、2戦目のメキシコ戦でも本塁打を含む2安打1打点と大活躍。2日午後7時から行われる準々決勝の米国戦では、田中がいよいよ先発マウンドに上がる。山崎さんは少年時代の2人に思いをはせながら、「まさかこんな日が来るとは」としみじみと語った。
《祝 2020東京オリンピック出場》
昆陽里タイガースの練習拠点で田中と坂本の母校の小学校には、2人の五輪出場を祝う横断幕が掲げられている。かつての2人が打球を飛ばし合った原点で、恩師や後輩が活躍を見守っている。(木ノ下めぐみ)