「今もはっきりと印象に残っている」─。昭和5(1930)年3月発行の「竜門雑誌」(※1)によると、晩年にあった渋沢栄一はそう語り始めた。
不人情な第一声
明治元(1868)年12月23日(旧暦)の夜。渋沢が駿府・宝台院(現・静岡市葵区)で、謹慎中の旧主、徳川慶喜に対面したときのことだ。渋沢は幕末が最終段階に入っていた慶応3(1867)年1月、当時の15代将軍・慶喜の名代としてフランスに派遣された慶喜の弟で徳川御三卿(さんきょう)の一つ、清水家の当主、昭武に随行した。が、維新後、昭武が水戸藩を相続することになったため、昭武とともに約1カ月半前に帰国。慶喜とは幕末以来の再会だった。