89年ぶり決勝へ 山県亮太が「暁の超特急」から受けた刺激 陸上男子100メートル - 産経ニュース

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89年ぶり決勝へ 山県亮太が「暁の超特急」から受けた刺激 陸上男子100メートル

五輪の陸上男子100メートルで決勝に進出した唯一の日本人、吉岡隆徳(親族提供)
五輪の陸上男子100メートルで決勝に進出した唯一の日本人、吉岡隆徳(親族提供)

注目の陸上男子100メートルが31日の予選から始まる。日本からは日本記録保持者の山県亮太(セイコー)、日本選手権覇者の多田修平(住友電工)、9秒98の自己記録を持つ小池祐貴(同)が出場する。過去、決勝の舞台に進んだ日本人は、1932年ロサンゼルス五輪6位入賞の吉岡隆徳(たかよし)のみ。日本の3選手は89年ぶり史上2人目の偉業を目指す。

五輪の〝華〟とも呼ばれる陸上男子100メートル。決勝はいま地球上で最も速いのは誰かを決める究極の舞台だ。その場に立った吉岡隆徳とはどんな人物だったのか。

1930年極東大会の際に撮影されたとみられる吉岡隆徳(左)=親族提供
1930年極東大会の際に撮影されたとみられる吉岡隆徳(左)=親族提供

1909(明治42)年、島根県生まれ。11人きょうだいの末っ子で、鋭いスタートダッシュを武器に「暁の超特急」と呼ばれた。おいの春日貴紘さん(75)は「学校で先生に怒られて校庭を走らされても喜んで走るような子だったそうです。扁平足で『わしは生まれながらにして速かったわけではない。努力以外の何ものでもない』と言い、何でもスポーツにつなげて考える性格だった」と語る。

2018年に改めて発見された吉岡の論文の草稿には、日本人は外国人と比べて「下肢が短い」といった身体的特徴や最適なスタートの構え、疾走時の肘や膝の角度などが丁寧に書かれ、研究熱心だったことがうかがえる。

山県も注目「理想のスタート」

吉岡のスタートの写真を見た山県は「自分が目指している理想の形に近い」と語る。目線が前で、背中が伸び、スターティングブロックを蹴った力がそのまま前への推進力になっているように見えるという。

1935年には10秒3の当時の世界タイ記録をマークした吉岡。山県は「技術的、身体的なものは当時の最先端。僕なんか、自分のことを『世界一を目指しますと胸を張って言えるレベルにない』と思ってしまうけど、吉岡さんは世界一を目指していた。その姿勢は見習わないといけない」とした上で、「すごいと思ったのは水の上を走ろうとしていたこと。一見、無理だと思えることにもトライしていた。常識にとらわれず、ハングリー精神がある」と、その探求心に脱帽する。

1932年ロサンゼルス五輪陸上男子100メートルで決勝に進出した吉岡隆徳(親族提供)
1932年ロサンゼルス五輪陸上男子100メートルで決勝に進出した吉岡隆徳(親族提供)
「準決勝の壁」

100メートル決勝のスタートラインに立てるのは、わずか8人。日本選手は何度も準決勝の壁にはね返されてきた。

山県は2016年リオデジャネイロ五輪で、10秒05の自己記録(当時)で走る勝負強さを見せたが、決勝進出ラインだった10秒01には届かなかった。これが五輪における日本人の最速記録だ。

15年北京世界選手権のように10秒を切った選手だけが決勝に進めた大会もあり、「ファイナリスト」になるには、勝負どころで9秒台を出す力が求められる。

日本勢の今季のベストは山県9秒95、多田10秒01、小池10秒13。いずれも6月の布勢スプリント決勝(追い風2・0メートル)で記録された。東京五輪にエントリーした選手の今季ベストでは、9秒95は6番目のタイムだ。

リオ五輪の後、山県は決勝までの距離感を「半歩先くらい」と表現した。進化して迎える3度目の五輪。号砲の時が近づいてきた。(運動部 宝田将志)

41歳の頃とみられる吉岡隆徳。1932年ロサンゼルス五輪陸上男子100メートルファイナリストの太ももの発達ぶりがうかがえる(親族提供)
41歳の頃とみられる吉岡隆徳。1932年ロサンゼルス五輪陸上男子100メートルファイナリストの太ももの発達ぶりがうかがえる(親族提供)


晩年の吉岡隆徳。甥の春日貴紘さんによると、「死ぬまで、病気になるまで走っていた」という。(親族提供)
晩年の吉岡隆徳。甥の春日貴紘さんによると、「死ぬまで、病気になるまで走っていた」という。(親族提供)

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