コソボ柔道、母国で「英雄」に…躍進立役者は紛争で五輪断念

コソボ・ペヤの柔道場で写真撮影に応じるノラ・ジャコバ(左端)、ディストリア・クラスニチ(右から2人目)ら=6月(共同)
コソボ・ペヤの柔道場で写真撮影に応じるノラ・ジャコバ(左端)、ディストリア・クラスニチ(右から2人目)ら=6月(共同)

東京五輪の柔道でコソボが金メダル2つを獲得し、欧州の新たな〝柔道王国〟として存在感を示した。世界に誇るトップアスリートたちを育て上げたのは、かつての民族紛争で五輪への道を絶たれた一人の柔道家だった。

国土は岐阜県とほぼ同じ1万908平方キロ、人口は約190万人。国の規模は決して大きくないコソボだが、柔道女子48キロ級でディストリア・クラスニチが、57キロ級でノラ・ジャコバがそれぞれ日本人選手らを撃破した末に頂点を極めた。2016年のリオデジャネイロ五輪で同国初の金メダルをもたらしたマイリンダ・ケルメンディは連覇を逃したものの、コソボ柔道の躍進を印象付けた。

金メダリスト3人を育てたのは、人口10万人足らずの西部ペヤで道場を運営するドリトン・クカ氏(49)だ。9歳で柔道を始めたクカ氏はめきめきと頭角を現し、1992年のバルセロナ五輪では旧ユーゴスラビア代表として活躍が期待された。当時、コソボはユーゴスラビア連邦セルビア共和国の自治州。だがコソボ住民の大半を占めるアルバニア人による独立運動などユーゴ紛争の混迷が深まり、コソボ出身の選手たちはバルセロナ五輪の出場機会を奪われた。

柔道女子57キロ級で金メダルを獲得したコソボのノラ・ジャコバ=日本武道館(撮影・松永渉平)
柔道女子57キロ級で金メダルを獲得したコソボのノラ・ジャコバ=日本武道館(撮影・松永渉平)

コソボ住民とセルビア治安部隊との内戦で国土は荒廃した。コソボは2008年にセルビアからの独立を宣言し、国際オリンピック委員会(IOC)への加盟が実現したのは14年だ。

紛争終結後、ペヤに質素な柔道道場を設立し、指導者としての道を歩み始めたクカ氏。今年5月、海外メディアのインタビューで「コソボにはメダルを獲得できる卓越したアスリートがいることを世界に示したかった」と振り返った。教え子のケルメンディが金メダルを獲得したリオ五輪以降、クカ氏の柔道チームは母国で「英雄」の扱いを受け、柔道の人気も急上昇しているという。欧州メディアによると、コソボには現在、17の柔道クラブがあり、約1200人が柔道家として登録されている。

「多くの人々は『コソボ』と聞くと(紛争の歴史から)ネガティブなことを連想するが、われわれには前途有望な若い世代がいることを世界に示せた」と語っていたクカ氏。東京五輪でクラスニチの金メダルが決まると「メダルを取るだろうとは思っていたが、金メダルとは本当に壮大だ」と地元テレビ局の取材に喜びを爆発させた。(西見由章)

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