五輪実施の千葉県一宮町に異色の役場職員 サーフィン熱中し移住

広報担当者として競技会場の写真撮影などをした千葉県一宮町職員の生田修大さん=同町役場(長橋和之撮影)
広報担当者として競技会場の写真撮影などをした千葉県一宮町職員の生田修大さん=同町役場(長橋和之撮影)

千葉県一宮町の釣ケ崎海岸で7月27日まで3日間、開催された東京五輪サーフィン競技。コロナ禍で無観客となったが、町職員は五輪史上初の同競技が開催されたという記念すべき町の歴史を残そうと、会場内で写真撮影などに奮闘した。その1人、生田修大(のぶひろ)さん(44)は、異色の経歴の持ち主だった。(長橋和之、写真も)

埼玉県出身の生田さんは、東大工学部を卒業後、東京・丸の内の金融機関に勤務していた。30歳になる直前、ハワイ旅行でサーフィンをしている人を眺めていると、スクールの人から「やってみるか」と誘われた。初日から波の上で立つことができた。「向いているから日本でもやった方がいい」と言われたという。

帰国後、サーフィンに熱中した。金曜日に仕事が終わると、日付が変わった土曜日午前3時に都内を出発し一宮町へ。一日中サーフィンをして夜に帰宅し、日曜日も再び午前3時に同町へ。しばらくして仲間と町にアパートを借りた。平日は東京で仕事をして、週末は外房でサーフィンを楽しむ生活。「一宮っていいところだな」と、すっかり町のとりこになった。

「仕事がこっちで見つかれば引っ越したい」。そう思っていたところ、町職員の中途採用が行われることを知った。東京五輪の開催が決まり、サーフィンが実施競技の候補にもなっていたときだった。競技として採用されれば、釣ケ崎海岸が開催地になる可能性があるといわれていた。

そんな魅力的な事情も後押しし、中途採用試験に応募し、平成27年に採用された。給料は半分になったが、五輪競技の招致に携わるなど、町職員の仕事にはやりがいがあった。

現在は秘書広報課で広報を担当し、主に町のPRを行う。五輪競技の開催中は釣ケ崎海岸の会場内での写真撮影も担当した。写真は、今後、町の広報誌などに掲載されるという。

ボランティアとして五輪選手の案内なども担当した生田さんは「『五輪に携わりたい』も移住のきっかけのひとつだったので、サーフィン競技が終わって祭りの後のような寂しい気持ち」と笑う。

五輪で「一宮町」の名前が広く発信されたが、「まだまだ知られてない」と生田さん。「サーフィンをしない人にも一宮の魅力を感じてもらえるような広報をしていきたい」。町職員として、今後の仕事の目標を力強くそう話した。

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