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〝鉄分〟いっぱい 自由な旅 内田百閒著『第一阿房列車』

『第一阿房列車』(新潮文庫)
『第一阿房列車』(新潮文庫)

あまりに突然で、鉄道ファンが集結するのは困難とみられていた。廃止が決まっていたJR札沼(さっしょう)線一部区間(北海道)の昨春の最終運行は、新型コロナウイルス感染拡大に伴い突如前倒しされた。

ところが、間に合わないはずの首都圏からもごく少数が乗車を果たす。1人は始発の航空便とレンタカーを使い、別の1人は前倒しを先読みしたという。不要不急の外出自粛が求められた時期だけに、控えめに行動していた。

何が彼らを引きつけるのだろうか。〝乗り鉄〟の存在は今でこそ顕在化したが、その元祖とされるのが随筆家の内田百閒(ひゃっけん)(1889~1971年)だ。鋭い観察眼で身辺をつづった随筆は評価が高く、没後50年に当たる今年は関連本や評伝などの刊行が相次いでおり、手に取る機会が多い。

元祖の由縁は鉄道紀行『阿房(あほう)列車』シリーズ。戦争の記憶も生々しい昭和25年、乗ることが目的の鉄道旅を阿房列車と名付け、国鉄職員の「ヒマラヤ山系」をお供に出発した。借金までして。「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」と書き、その楽しみを知らしめた。新潮文庫版は全三冊。

観光地に行くつもりはない。温泉場は人がいるから行きたくない。既定路線に乗ろうとしない百閒は気難しい。何かと辛辣(しんらつ)な批評を加える。だが、その舌鋒は百閒自身にも向けられている。山系君の靴を「貧弱な恰好(かっこう)の靴」とくさす自分の「立派な靴」も「大きなつぎが当たっている」のである。

阿房列車では、出発前に毎晩、汽車の時刻表を眺めて夜更かし。食堂車では車窓の眺めと汽車の震動と汽笛の響きをさかなに飲む。「一杯やっている窓の外へ、どうだい、どうだいと云(い)うらしく響かせて来た」。食堂車がなければ燗酒(かんざけ)を入れた魔法瓶を持ち込む。旅先で見聞を広めると「阿房列車の標識に背く」ので裏道を散歩する。大学教授も務めた紳士が世間に阿房とみられようとも、乗る喜びでいっぱい。

宿の老女中を「婆(ばばあ)」と書くあたりはムッとしてしまうが、当時は女性が男性と対等に扱われたとはいいがたい時代だった。後年〝女子鉄〟が世間に認知されるとは思っていなかったに違いない。