ネットのしなる音が4回続いた後、場外のマットに体が投げ出された-。東京五輪第8日の30日、トランポリン女子予選に出場した森ひかる(22)は第2自由演技の序盤で跳躍位置を安定させられず、決勝進出を逃した。うつろな表情で、周囲に頭を下げるのが精いっぱい。「何年間も生活を犠牲にして頑張ってきても、こうなってしまうのが現実」。家族に支えられ、実績を積み上げて臨んだ初の五輪で、〝世界女王〟が苦杯をなめた。
4歳のとき、地元の東京都足立区で、スーパーの屋上遊園地に置かれていたトランポリンに魅了された。1回7分で200円。買い物に行く母、美香さん(51)にせがんだ。ただ飛び跳ねているのが楽しく、夢中になった。
4歳年上の双子の兄とともに、地元の教室に通い始めると、のめりこんだ。性格は幼いころから負けず嫌い。兄とオセロをしたり、相撲をとって遊んだりする中でも、負けると「もう1回!」と、自分が勝つまでやり続けた。
兄たちに勝ちたいという思いは、トランポリンでも森を強くさせた。
ただ、10歳のとき、練習中にトランポリンから落下し、左肘を骨折。その約3カ月後に出場した大会では、会場入りはしたが、重圧と恐怖心で宙返りができなくなった。
「やめたい」。娘の訴えに、美香さんは諭した。「出るって、あなたが決めたんだから。自分で言ったことはやらなきゃいけないよ」。背中を押され、無事に大会を終えた。
隣には、いつも美香さんがいた。森が高校1年のとき、区内の高校からトランポリンの強豪校、金沢学院大付属高校(金沢市)に転校を決めた際も、ついてきてくれた。
トランポリンは着地時に体重の約10倍の負荷がかかるとされ、優雅な見た目と違う過酷なスポーツ。「肉体的にもとてもきつい競技なので、できる限り、支えてあげたいと思った」(美香さん)。友人らと離れ、慣れない環境で汗を流す娘に、母はすしを食べに連れ出したり、休日は一緒に観光をしたりして支えた。現在も金沢で母娘2人、アパートで暮らしている。
息子たちと東京に残った父の博之さん(56)は当時、「本当に行っちゃうの、と」。それでも、娘と妻に固い意思を感じ、「行くなとも言えなかった。競技に集中してもらうよう、自分なりにできることはやるようにした」。美香さんに全て任せていた掃除や洗濯などの家事をこなした。息子たちも自分で料理を作るようになった。
トランポリンは、10種類のジャンプを連続して繰り出し、20秒程度の競技時間の中で、その技術と美しさを競う。それに耐えるだけの体幹など地道な体づくりが欠かせない。
同校トランポリン部の丸山章子監督(48)の指導で、基礎練習を徹底。トレーニング嫌いの森が半ば強制的に鍛えられ、体つきはたくましさを増した。
2019年の世界選手権を制覇。今年6月のワールドカップ(W杯)でも優勝し、東京五輪での周囲の期待はいや応なく高まった。
だが、この日の予選は、第2自由演技の2回目のジャンプの着地点が中心から大きく外れた。一度失ったバランスは、取り戻せなかった。思わぬ形で大会を終えた森は「もう頑張らなくていいんだなと思った」。安堵(あんど)の思いと悔しさが涙となって頰を伝った。
W杯前から「宙返りが怖くなってしまっていた」と、再び弱気の虫が出ていたことを明かし、「だけど優勝してしまって。期待してもらううれしさと、メダルを期待される苦しさが…」と苦悩ぶりを語った。
自宅のテレビで見守っていた博之さんは「緊張は見て取れた。今は『お疲れさま』と声をかけたいのと、少し息抜きをしてほしい」と大一番に臨んだ娘をねぎらった。
想定をはるかに超えていた女王の重圧。森は「ここまで、どんなに苦しくても、1回も逃げなかった。自分のことをしっかりほめてあげたいと思います」。22歳の肩は、終始震えていた。(浅上あゆみ、原川真太郎)