渡辺、東野組「福島に勇気」 バド混合ダブルスで銅

混合ダブルス3位決定戦 香港ペアと対戦する渡辺勇大(左)、東野有紗組=武蔵野の森総合スポーツプラザ
混合ダブルス3位決定戦 香港ペアと対戦する渡辺勇大(左)、東野有紗組=武蔵野の森総合スポーツプラザ

東日本大震災と、その後の東京電力福島第1原発事故の発生から10年。福島で苦難を乗り越えてきた2人が、先達もなし得なかった偉業を達成した。30日、バドミントン混合ダブルス3位決定戦を制し、同種目で日本初のメダリストとなった渡辺勇大(ゆうた)(24)、東野有紗(ありさ)(24)。「復興」の思いを抱きつづけた2人の胸に、銅メダルが輝いた。

東野が相手のスマッシュを何度もすくい上げ、最後は渡辺の渾身(こんしん)のスマッシュで締めた。関係者の拍手が鳴りやまぬ中、2人は抱き合い、互いに「ありがとう」と言い合った。

東京都出身の渡辺と北海道出身の東野。震災当時、将来を嘱望されていた中学生の2人は、福島県富岡町にある中高一貫のバドミントンの強豪、富岡第一中(富岡高)で競技に打ち込んでいた。

しかし同町が避難区域に指定され、学校は同県三春町に避難する一方、バドミントン部は施設のある猪苗代町で活動をすることに。「勇大君」「東野先輩」と呼び合う2人は、そんな混乱した状況の中でペアを組み、練習を続けてきた。

「あの頃は体が小さい子だった」。渡辺が寮生活を送った宿泊施設「あるぱいんロッジ」元オーナーの平山真さん(73)には、忘れられない思い出がある。

先の見えないまま朝から晩まで練習の日々。避難から1年以上が過ぎたころだろうか。けがが続いていた渡辺が珍しく夕食後も食堂に残り、平山さんの妻、とし子さん(60)に「辞めたい」と漏らした。とし子さんが黙って渡辺の話を聞き続けると、思いを吐露した渡辺は、ほっとした様子で部屋に帰っていった。

「普段は寡黙な子だが、胸に抱えていたものを誰かに聞いてもらいたかったんだろう」。こう振り返った真さんは「成長した姿を見せてくれてありがとう」と2人の活躍を喜んだ。

試合後、渡辺は「少しでも福島の皆さんに恩返しをできたらと思ってプレーをしてきた」と語り、「メダルを持ち帰ることができて、少しは果たせたかな」とはにかんだ。その雄姿に勇気づけられたのは、福島の人々だけではないはずだ。(竹之内秀介)

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