あの日、異国から来た名もなきランナーが、日本人の視線を一身に集めた。前回1964年東京五輪の陸上男子1万メートルで、最下位になりながらもレースを捨てなかったセイロン(現スリランカ)の「ゼッケン67」。その物語は後に、小学校の国語教科書に載った。レースから57年、ランナーの孫娘は縁あって日本で仕事に就き、2度目の東京五輪を迎えた。「日本は2番目の祖国。運命かもしれない」。祖父の英姿をまぶたに浮かべ、30日夜の男子1万メートルにテレビの向こうから声援を送る。(森田景史)
群馬県渋川市の高齢者施設で働く介護福祉士、オーシャディー・ヌワンティカ・ハルペさん(29)。祖国スリランカの英雄として語り継がれる祖父の話を、母から聞かされて育った。
「家事と子育てに熱心な人だと聞いた。『何かを始めたら、最後までやり遂げなさい』。それが口癖だったそうです」