日本柔道界を背負った原沢、悔い残る5位 男子100キロ超級

3位決定戦でリネールに攻められる原沢久喜=日本武道館(松永渉平撮影)
3位決定戦でリネールに攻められる原沢久喜=日本武道館(松永渉平撮影)

30日に行われた柔道男子100キロ超級で、リオデジャネイロ五輪銀メダルの原沢久喜(百五銀行)は準決勝で前回100キロ級覇者クルパレク(チェコ)に敗れ、3位決定戦はリネール(フランス)に指導3による反則負けを喫した。

頂上決戦ではなかったが、原沢の目の前には宿敵がいた。男子100キロ超級の3位決定戦の相手は五輪3連覇の夢が途絶えたリネール。「自分の気持ちの全てをぶつけた」。5年前のリオデジャネイロ五輪決勝で敗れた相手との再戦は、荒々しく帯や奥襟をつかまれて防戦になった。見せ場すら作れないまま、指導3つを受けて幕を閉じた。

リオ五輪の銀メダルは「若さと勢い」と振り返る。地に足をつけて目指した東京への道は試練の連続に見舞われた。2017年の世界選手権は初戦負け。帰国後は心身が慢性疲労に陥る「オーバートレーニング症候群」と診断された。再起をかけ、「柔道だけに打ち込んで金メダルを取る」と18年4月で日本中央競馬会を退職。職場でも愛された原沢は「世界一の柔道家を命ずる」と記された最後の〝辞令〟を手に退路を断ち、一時はフリーで活動した。

18年の世界選手権は3位、19年は2位。3度の挑戦で一度も世界王者にはなれなかった。コロナ禍の1年でさらに技術を高め、股関節や肩甲骨の可動域を広げたり、フィジカルの強化にも励んだ。トレーニングを担当する浅井利彰さんは「持久力もスピードもパワーも進化した」と太鼓判を押した。金メダルのために畳の中でも外でも努力を積み重ねたが、表彰台にも届かない5位に「非常に悔いが残る」と唇をかみしめた。

男子最重量級の制覇は、柔道が初めて実施された1964年東京五輪で、無差別級の頂点を逃した日本柔道界の悲願。重量級再建を掲げてきた日本男子の井上康生監督も「真摯(しんし)に受け止める」と表情は硬かった。個人戦を締めくくる表彰式に日の丸がない国旗掲揚が「JUDO」が世界に広まったことを物語った。(田中充)