75年前の米核実験で沈没した戦艦「長門」慰霊顕彰祭

旧日本海軍の戦艦「長門」
旧日本海軍の戦艦「長門」

旧日本海軍の戦艦で唯一可動状態のまま終戦を迎えながら、75年前の昭和21(1946)年7月29日、南太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で米軍の核実験の標的となり、沈没した戦艦「長門」の慰霊顕彰祭が29日、山口県下関市の住吉神社で催された。旧日本海軍の艦艇には、航行の安全と武運長久を祈り、国内の神社から分霊した「艦内神社」が設けられていた。長門の場合は、艦名にちなみ、旧長門国(現山口県)で最も社格が高かった住吉神社の祭神がまつられていた。

長門はビキニ環礁の水深50メートル前後に沈んでいる。米軍の一連の核実験では長門のほかにも多数の艦船が標的とされたが、長門は2度の爆発実験でもすぐには沈没せず、4日間も海上に浮かび続けたという。数時間で沈没した他の標的船と比べ長時間耐えたことから、当時、国内では「造船技術の優秀さが証明された」と話題を呼んだ。

鉛筆艦船画家の菅野泰紀氏が奉納した作品も展示された戦艦「長門」の慰霊顕彰祭=山口県下関市
鉛筆艦船画家の菅野泰紀氏が奉納した作品も展示された戦艦「長門」の慰霊顕彰祭=山口県下関市

慰霊顕彰祭は、歴史学者で大阪観光大講師の久野潤氏が呼び掛け、地元の関係者ら約40人が参列した。久野氏が「新型コロナウイルス禍に苦しむ今こそ、(コロナ禍以上の)国難に立ち向かった英霊を仰ぎ、日本再生の道を模索しなければならない」とする祭文を読み上げた後、参列者が玉串を奉納した。

住吉神社の社務日誌には、長門に関係する記載が多数残されている。鳴瀬道生宮司はその中で、昭和11年に高橋三吉連合艦隊司令長官が山口県への寄港にあわせて、長門の艦内神社の分霊元である同神社に参拝した記載が残ることに触れ「関係者からいかに大切に信仰されていたかを示すものだ」と指摘した。