話の肖像画

デザイナー・コシノジュンコ(81)(28)「日本をデザインし伝えた」賢三さん

唯一無二の存在、高田賢三さん(左)と
唯一無二の存在、高田賢三さん(左)と

(27)へ戻る

《高田賢三―。世界に名をはせたファッションブランド「KENZO」の創業者が昨年10月、新型コロナウイルス感染症による合併症で急逝した。希代のデザイナーは、コシノ氏にとってどのような存在だったのか》


亡くなるなんて、あり得ない。今も信じられない。もうパリに行っても賢三さんには会えない。こんなにさみしいことってあるのでしょうか。

昨年2月、パリに行ったときに、一緒に「ストレッサ」という特別なイタリアンレストランに行きました。そのときはもちろん元気だった。

賢三さんはパリで、インテリアデザインの仕事をしていた。そのショールームを見せてもらいました。賢三さんらしい、日本的でチャーミングなデザインだった。

「とてもおもしろいわ。日本に持ってきてもいいんじゃないかしら」と、あるホテルのオーナーを紹介すると、賢三さんと「来年、ホテルを建てるときに一緒にインテリアのデザインをやろう」ということになりました。なんだか若いころに戻ったみたいで。また一緒に何かクリエーティブなことに挑戦できるということが、とてもうれしかった。

このころのパリは、街や空港でマスクを着けている人は、まだいない。でも徐々に、イタリア、イギリス、フランス―と感染が広がり始めていた。日本に帰国して3日もしないうちに、大変なことになっていると、ニュースをみて驚きました。

すぐに電話で「気を付けて。外を出歩かないでね」と賢三さんに伝えると、「大丈夫。気を付けるよ」と言っていたのに…。

これが最後になってしまいました。

いつも、なにかあったら飛んでいくという間柄だった。だから今回も、本当は一番に飛んでいかなくてはならなかったのに。コロナでそれはかなわなかった。送別会も賢三さんが愛していたホテルでやりたいと思っているのだけれど、それもできない状態に。本当に悔しいです。