開会式では競技を示す50のピクトグラム(絵文字)をパントマイムで演じたパフォーマンスが、外国選手や海外のメディアにも評判になった。
ピクトグラムは1964年の東京五輪のレガシー(遺産)である。世界中から大勢の人が集まるビッグイベントは、わが国では初めてだった。まだ英語を話せる日本人も少ないのに、さまざまな言語のお客さんがやって来る。何カ国語もの案内標識を設置するのは難しい。言葉の不自由を感じさせないためにはどうしたらいいか。考えついたのが絵文字だ。
組織委員会事務局に置かれたデザイン室に気鋭のクリエーターが集まり、シンボルマークからポスター、競技パンフレット、入場券、聖火リレーのトーチなど東京五輪で使われるあらゆるものをデザインした。その一つがピクトグラムで、競技を絵文字にしただけでなく、トイレや食堂、手荷物の一時預かり所といった場所もわかりやすいイラストで表現した。
「共通言語」としてピクトグラムが標準化されたのは東京五輪が初めてである。しかも特筆すべきは「この仕事は社会に還元すべきだ」と著作権を放棄したことだ。以降のオリンピックでも東京に倣ってピクトグラムが作られ、トイレのマークなどは世界各国で使用されている。
東京五輪では通訳をどうするかも難題だった。教育ジャーナリスト、小林哲夫さんの「大学とオリンピック 1912―2020」(中公新書ラクレ)によると、組織委は、競技運営のための通訳は長期的な訓練を必要とすることから比較的時間にゆとりがある大学生に、それ以外は一般公募することにした。
学生通訳は英語とフランス語が対象で、競技別に18の大学に割り振られて、約300人が選ばれた。プレオリンピックや研修合宿で競技の知識も身に付けた。
学生にとって外国人と接して生きた外国語を話せるのは貴重な機会だった。卒業後に国際会議などの同時通訳として活躍した人もいる。こうした人材も大会のレガシーといっていい。
余談だが、花街の芸者さんも三味線の弾き語りを英仏独語に訳して練習したそうだ。お座敷で披露する機会があったかどうかわからないが。
ちなみに1964年のインバウンド(訪日外国人旅行者)は、オリンピック効果で急増したとはいえ約35万人で、過去最高を記録した2019年の3188万人とは2桁違う。
新型コロナウイルス禍によって1年延期されたTOKYO五輪は、早々に海外からの観光客の受け入れを断念した。大会は連日の熱戦で盛り上がっている。「おもてなし」ができなかったのは残念で仕方ない。