悩んで泣いた5年間、板橋美波「戻ってこれてよかった」 女子シンクロ高飛び込み6位

女子シンクロ高飛び込み決勝で演技する板橋美波(上)、荒井祭里組=東京アクアティクスセンター
女子シンクロ高飛び込み決勝で演技する板橋美波(上)、荒井祭里組=東京アクアティクスセンター

泣いて、もがいて、たどり着いた東京五輪のプラットフォームに立ち、板橋美波(21)=JSS宝塚=は持てる全てを出し切った。同門の後輩、荒井祭里(20、まつり)と挑んだ27日の女子シンクロ高飛び込み。8組中6位に終わったが、一時はメダル圏内につけた。選手生命も危ぶまれる負傷を乗り越えてきたダイバーは、「悔しさもあるが、また五輪の舞台に戻ってくることができた。演技できたことがすごいうれしかった」と素直な思いを口にした。

4本目の演技を終えた時点で、3番手につけていた。試合中、順位や得点は見ていなかった。それでも馬淵崇英(すうえい)コーチの表情で状況を察した。日本飛び込み勢初のメダルを意識して、「体が震えてきてしまった」。最終5本目の演技は勢いよく回る体を制御できず、2人の入水姿勢がやや乱れた。得点を伸ばせなかった。

2015年世界選手権。高飛び込みで、女子では世界で初めて高難度の109C(前宙返り4回転半抱え型)を成功させた。柔道家だった両親譲りの強靭な足腰を生かした跳躍力を武器に、16年リオデジャネイロ五輪は同種目で80年ぶりの8位入賞を果たした。

「東京ではメダルを」との思いを胸に、順調に強化が進んでいた。そんなとき、ある違和感が板橋を襲った。18年3月。就寝前に電気を消した際、視界の端に光が走った。「電気が消えているのに、なんで?」。すぐに病院に駆け込み、網膜剥離(はくり)と診断された。

女子シンクロ高飛び込み決勝 試合後のインタビューで涙した板橋美波(右)。左は荒井祭里=東京アクアティクスセンター(恵守乾撮影)
女子シンクロ高飛び込み決勝 試合後のインタビューで涙した板橋美波(右)。左は荒井祭里=東京アクアティクスセンター(恵守乾撮影)

入水時の衝撃が1トンにも及ぶとされる飛び込みでは発症者も少なくなく、競技から退く選手もいるほどの致命傷。すぐに馬淵コーチに電話をかけたが、言葉が喉の奥に詰まって出てこなかった。付き添っていた母の美智子さん(50)が代わりに事情を説明する間、板橋は病院の入り口で人目もはばからず泣き崩れた。

医師には「もう10日遅かったら危なかった」と明かされた。早期の手術で視力低下や失明は免れたが、基礎練習の一つでもある逆立ちなど目に負担がかかるメニューに制限がついた。

その代わりに、と熱心に励んでいた筋力強化があだとなり、19年3月には左すねを疲労骨折した。筋肉を切り、骨の中に長さ30センチのチタンを埋め込んだ。手術後、麻酔が切れると感じたこともないような激痛が走った。車いすに乗るにも10分かかる。足首をゆっくり動かすことからリハビリを始め、普通に歩けるようになるまで2カ月かかった。

「自分が飛んでいる姿をイメージすることができなかった。こんな体じゃ、また飛べても世界で活躍するのは難しいのかな」

ぼんやり引退も視野に入れながら、久しぶりにプールに戻ると荒井や12歳で男子高飛び込みの日本一になった玉井陸斗(14、JSS宝塚)が見違えるような成長を遂げていた。「負けたくない」という思いが自然と芽生えた。

年に一度、練習内容などを説明する保護者面談では、馬淵コーチが「けがをさせてしまい申し訳ありませんでした」と両親に頭を下げるのを見た。厳しい指導が愛情の裏返しであることを知っている。「けがをしたのは私なのに、コーチにまでそういう思いをさせてしまったことが申し訳なかった。なんとしてでも結果を出したい」。諦めかけた東京五輪への思いが燃え上がった。

女子シンクロ高飛び込みで東京五輪代表を目指す(左から)板橋美波、荒井祭里
女子シンクロ高飛び込みで東京五輪代表を目指す(左から)板橋美波、荒井祭里

東京五輪への第一関門だった20年2月の代表選考会で個人で出場の夢は断たれたが、荒井とのシンクロでの挑戦権を得た。直後に五輪の1年延期が決定。プラス1年を生かすため、満身創痍(そうい)の体でできることを探し、「何かと言い訳をつけて逃げてきた」という苦手な基礎練習を繰り返した。鏡でフォームを確認し、美しい入水姿勢を意識して低い台から1時間飛び続けることもあった。荒井とのペアで臨んだ5月のワールドカップで7位入賞。個人で届かなかった五輪切符をつかみとった。

五輪の舞台では、水しぶきの出ない「ノースプラッシュ」が持ち味の荒井にも負けない、切れ味鋭い入水が光った。戦いの後、馬淵コーチから「(強豪の)中国選手並みに入水よかったよ」と言葉をもらった。

女子シンクロ高飛び込み決勝 板橋美波(右)、荒井祭里組の2回目の演技=東京アクアティクスセンター
女子シンクロ高飛び込み決勝 板橋美波(右)、荒井祭里組の2回目の演技=東京アクアティクスセンター

名刺代わりの大技がなくても、繊細さという新たな武器で世界と渡りあえることを証明し、「この1年半、やってきたことは間違ってなかったんだな」と胸を張った。回り道に一つも無駄はなかった。

くしくも、競技が行われた27日は父、秀彦さんの52歳の誕生日だった。入院中、美智子さんとかわるがわる病室を訪れては、たわいもない話で気を紛らせてくれた。「たくさん迷惑をかけてきた。本当はメダルをかけてあげたかったんですけど、自分が五輪で演技している姿を見て元気を出してくれたらうれしい」。そういって涙を拭う板橋の表情は晴れやかだった。(運動部 川峯千尋)

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