主張

卓球の金メダル お家芸の復活を喜びたい

試合中でさえ笑みを絶やさず、高く厚い中国の壁をついに乗り越えての金メダルにも「楽しかった」を連発した卓球混合ダブルスの水谷隼、伊藤美誠の2人だが、表彰台で日の丸が揚がり、君が代が演奏されると、ともに涙を流した。

水谷は「今までメダルをたくさん取ってきたが銀メダルや銅メダルで、日の丸をてっぺんに揚げることができなくて、きょう日本の国旗が一番上に揚がり、君が代を聞いているときはアスリートとして誇りに思った最高の瞬間でした」と話した。これがオリンピックである。

かつて卓球は日本のお家芸だった。1952年、日本が初参加した世界選手権では女子団体、男子単、男子複、女子複の4種目を制した。世界選手権6大会で12個の金メダルを獲得した荻村伊智朗は引退後に中国に卓球の技術を教え、国際卓球連盟会長として「ピンポン外交」を支え、中国の国際社会復帰の立役者となった。

卓球は88年ソウル五輪から正式種目となり、これまで32個中28個の金メダルを獲得し、2008年北京大会以降は全種目で優勝を独占してきた。

この間、中国の背を追い続けたのがベテランの水谷であり、同じ静岡県磐田市の卓球クラブで彼を兄のように慕ったペアを組む伊藤の台頭だった。五輪は時に、こんな奇跡も呼ぶ。

お家芸といえば、柔道男子73キロ級で五輪連覇を飾った大野将平にも触れたい。圧倒的な強さはもちろん、初戦から決勝まで変わらぬ「礼」の美しさと、優勝を決めても畳を下りるまで歯を見せず、古武士然とした風貌のまま取材にも浮かれるそぶりはなかった。

緊急事態宣言下の五輪に、大野は「賛否両論あることは理解している。アスリートの姿を見て何か心が動く瞬間があれば光栄」と語った。国籍や勝敗を超え、彼らの奮闘に拍手と賛辞で報いたい。

体操男子団体は終盤の追い上げが及ばず、わずかの差で銀となった。競技初日に内村航平が鉄棒から落下するアクシデントに見舞われたが、全員が五輪初出場の若いチームは足先まで血の通った美しい体操を見事に継承していた。

「僕はもう主役ではない。彼らが僕を超えていかなくては」という内村の言葉を受けたものだ。今後の個人総合や種目別に「体操ニッポン」への期待は大きい。

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