【話の肖像画】デザイナー・コシノジュンコ(81)(26)転換期の2000年代 母の人生「朝ドラ」に - 産経ニュース

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話の肖像画

デザイナー・コシノジュンコ(81)(26)転換期の2000年代 母の人生「朝ドラ」に

朝ドラ「カーネーション」のモデルとなった母、綾子さん(下)とコシノ三姉妹(右がジュンコ氏)
朝ドラ「カーネーション」のモデルとなった母、綾子さん(下)とコシノ三姉妹(右がジュンコ氏)

《22年にわたるパリコレ参加に終止符を打ち、パリやニューヨークのブティックを閉めるなど、転換期となった2000(平成12)年。以降も活動の場をさらに広げる。02(同14)年、日韓国民交流記念事業の一環として行われたジャコモ・プッチーニのオペラ「蝶々(ちょうちょう)夫人」の衣装にも挑戦した》


このオペラは世界的に有名なチョン・ミョンフン氏が指揮、芸術監督ロレンツォ・マリアーニ氏が演出を務め、イタリアでの公演を日本でも上演するというものだった。だが問題があり、日本の主催者から一度見てほしいとの相談を受けた。「できれば衣装をすべて取り換えたいのです」と。

ヨーロッパのオペラを日本で上演する際は、衣装や舞台装置など一切を持ってくるのが一般的。日本の出る幕は基本的にはありません。しかし、その「完成品」を取り換えたいという要望が。それはなぜか―。

実際にイタリア・カリアリで上演されているオペラを観劇し、驚いた。

日本という国を誤解しているとしか思えない衣装だったからだ。100年前の資料を参考に作ったというその衣装は、主役の蝶々夫人でさえ古い着物のようなものを羽織っているだけ。夫人の息子、ドローレにいたっては、裸に「金」と描かれた腹かけをつけていて、まるで童話の金太郎のようだった。

音楽も装置も素晴らしいのに、日本人の衣装だけが残念。「日本はその程度の国だと思われているの?」とがっかりした。これでは日本に持って来られない―そう思いました。

演出サイドとは、ピンカートン(米海軍士官)を含めた西洋側の衣装には手を付けず、日本側のみの衣装を変更する、という折り合いをつけて、契約することに。

蝶々夫人の舞台は長崎。私の中の長崎のイメージである「海と空の色の一体感」を表現するために、藍染を使った。淡くぼかして、薄い雲のような羽織を作り、蝶々夫人以外の日本人はこの衣装をまとって統一感を持たせた。キャストが一斉に舞台上に立つと、とても壮観だった。

演出家はすごく感動した様子で、お褒めの言葉をいただきました。


《もう一つのターニングポイント―。06(同18)年に母、綾子さんが死去した。その5年後の11(同23)年に綾子さんをモデルにしたNHK朝の連続テレビ小説「カーネーション」の放送が始まった》


すべてがドラマ通りというわけではないですが、母の人生が描かれることは感慨深いもの。母も見たかっただろうなと思います。

話がおもしろいと評判だったのもうれしかったし、裏話もあります。ドラマの中の「私」を務めた赤ちゃんは、実は孫なのです。おかっぱの髪形にすると私ととてもそっくりだったので、出演することに。それも思い出深いですね。

カーネーションは、母が私たち姉妹に残してくれた遺産だと思っています。母は「稼いだものは全部自分で使うわ」といって羽振りがよく、本当に何も残さなかった。でもそれが、平等でいいんですよ。ドラマは、姉妹で取り合いようがないですからね。

最初はカーネーションというタイトルが、「お母ちゃん」のイメージとは合わないと思っていました。でも三姉妹を育てた、強い母にぴったりだと今は思います。

それに、毎年母の日には、カーネーションの花を見るたびにドラマを思い出し、お母ちゃんに思いをはせることができますから。(聞き手 石橋明日佳)