リオの忘れ物、表彰台へ挑む 体操女子団体・杉原

2度目となる五輪の大舞台で床運動に出場した杉原愛子=25日、有明体操競技場(川口良介撮影)
2度目となる五輪の大舞台で床運動に出場した杉原愛子=25日、有明体操競技場(川口良介撮影)

16歳で出場した2016年のリオデジャネイロ五輪は、表彰台にあと一歩で終わった。あれから5年。体操女子の杉原愛子(21)は新型コロナウイルス禍を乗り越え、大舞台に立った。

大阪府東大阪市生まれ。両親が元体操選手で4歳から体操を始めた。当時、家で倒立の練習をしている姿を見た父親の勝(まさる)さん(56)は「美しい線が自然と出せていた。少し説明するだけで理解し、『センスがある』と驚いた」と振り返る。

高校時代は、両親が同府岸和田市内の体操クラブまで毎日車で送迎。勝さんが一時コーチも務めるなど、家族一丸で娘を支えた。国内外の数々の大会で結果を出し、16歳でリオ五輪の団体総合に出場。チームのトップバッターとして床に登場し、躍動した。

日本は1968年メキシコ五輪以来、48年ぶりの好成績となる4位入賞を果たしたが、表彰台にはわずかに届かなかった。「みんなで良い演技ができてうれしかった半面、メダルへあと一歩という悔しさも残った」(杉原)。次の夢の舞台は東京と決めた。

小学1年生当時の杉原愛子。元体操選手の父、勝さんも「センスがある」と認めていた(勝さん提供)
小学1年生当時の杉原愛子。元体操選手の父、勝さんも「センスがある」と認めていた(勝さん提供)

「負けず嫌いで、納得するまで練習をやめない」。勝さんが太鼓判を押す強みは、自身の名を冠した平均台の大技「スギハラ」の習得にも生きた。幅10センチの平均台で片足を垂直に持ち上げ、開脚したまま2回転ターンを決める大技。17年世界選手権で初めて成功させた瞬間の娘を思い出すと、勝さんは今も顔がほころぶ。「死に物狂いで練習していたので、ついにやりよったな、と」

苦難もあった。腰痛が悪化し、18年世界選手権は出場を断念した。昨年からのコロナ禍では、所属する武庫川女子大(兵庫県西宮市)が緊急事態宣言を受けて4月からの約1カ月半、立ち入り禁止に。その間、平均台などを家に持ち込んで、筋力を落とさないようトレーニングに励んだ。

2度目の五輪。「けがをせず実力を出し切ってほしい。そうすれば必ずチームに大きく貢献できる」と勝さん。体操女子団体総合はぎりぎりの予選8位で決勝に進出。体操に人生をささげてきた杉原が大逆転をかけて勝負に挑む。(地主明世)

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