【新選組外伝~木村幸比古筆(6)】局長・近藤勇の月給は200万円だった(1/3ページ) - 産経ニュース

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新選組外伝~木村幸比古筆(6)

局長・近藤勇の月給は200万円だった

近藤勇宛てに記された「加賀屋四郎兵衛請書写」(大東市立歴史民俗資料館提供)
近藤勇宛てに記された「加賀屋四郎兵衛請書写」(大東市立歴史民俗資料館提供)

当初、芹沢鴨や近藤勇ら24人から始まった新選組。京都守護職の会津藩預かりとなり、次第に組織の人数は増えていく。命がけの任務に就いていただけあって、大名級の高額所得者でもあった。

当初、新選組は一番隊から八番隊に編成され、二番隊組長の永倉新八の手記によると、月給は組頭の沖田総司らが30両(120万円)、平隊士の吉村貫一郎らが10両(40万円)の支給とある。局長の近藤は50両(200万円)、副長の土方歳三は40両(160万円)。京都に来た当初は月3両程度だったから、破格の昇給だ。

元治元(1864)年の池田屋事件での朝廷、幕府からの新選組への褒賞金は300両(1200万円)で隊士らへの慰労金を合わせると2千万円が支給された。

新選組の花街での宴会は、すべて幹部隊士の交際費で賄われていた。幹部になれば「休憩所」と呼ばれる妾宅(しょうたく)を構えることができた。ただ、これらは豪商からの政治献金で賄われていた。

高給取りである一方で、新選組は錬金術にもたけていた。それをやってみせたのは、芹沢だった。

上洛当初、金に窮した芹沢は7人を引き連れ京都守護職預かり名をかたり、大坂の豪商・鴻池を訪れ金200両(800万円)の軍資金調達を申し入れた。驚いた番頭が町奉行へ報告したところ、「京都守護職様へは丁重に取り扱え」との返答を受けた。

主人の鴻池善右衛門は芹沢と面会し即座に200両を用立てした。京都守護職は畿内における商いや埋め立て事業などの任命権を持っており、鴻池にとっては他の業者との競争に勝ち残るための献金だった。

その後、芹沢は会津藩の公用方から呼び出され京都守護職の名をかたり軍資金調達したことに注意を受け、200両を鴻池に返済することになった。鴻池は新選組の誠意を認め、その後も快く受け入れもてなした。