国籍変更で挑む「金」 ソフト清原奈侑「日本を背負いたい」 - 産経ニュース

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国籍変更で挑む「金」 ソフト清原奈侑「日本を背負いたい」

東京五輪ソフトボール代表の清原奈侑選手(左)と祖母の安栄生さん(家族提供)
東京五輪ソフトボール代表の清原奈侑選手(左)と祖母の安栄生さん(家族提供)

東京五輪ソフトボールの日本代表は27日午後8時プレーボールの決勝で、金メダルをかけて米国と対戦する。今大会は過去の五輪代表を通じて初めて捕手3人をメンバーに選んだ。その一角を担う清原奈侑(なゆ)(30)は在日韓国4世だが、2008年北京五輪で日本が金メダルを獲得したのを機に日本国籍を取得。生まれ育った国の代表として戦う決意を胸に、初出場の五輪でチームを支える。

「いろんな人への恩返しを心掛けてやろうと思っていたので、あまり緊張せずに入れた」。21日、初戦のオーストラリア戦で途中出場し、マスクを被った清原は試合後、冷静に「恩返し」を口にした。

洞察力に優れ、対戦相手の意表を突くように同じ変化球を続けて要求するなど型破りな配球が持ち味。投手の良いボールを引き出す豊かな発想力や実績が評価され、五輪メンバーに選ばれたが、もともと韓国籍だった清原が日本代表になるまでには大きな決心が必要だった。

大阪市出身の清原は兄の影響で小学1年から野球を始め、中学でソフトボール部に転向。当初は投手だったが、高校で初めて捕手となり、ソフトボールに打ち込む中で転機は訪れた。

19歳以下の日本代表選考会への参加を打診されたが、日本国籍でないことを理由に参加できなかった。日本で生まれ育ったのに、国籍が理由で同じ土俵に立てない-。悔しさに唇をかんだ。そして、北京五輪で日本代表が金メダルを取る光景が、帰化を決断するきっかけにもなった。

「生まれ育った日本のユニホームを着て、世界大会に出たい」。園田学園女子大(兵庫県)に進学後、韓国代表からも声がかかったが、両親の反対を押し切って日本国籍を取得した。

「ソフトボールへの情熱は人一倍で、勝負事は中途半端で終わらせない。一つ一つの試合を真剣に取り組んでいた」と同大ソフトボール部の恩師、木田京子監督(48)は振り返る。

仲間に対する思いも熱く、4年生最後の引退試合で優勝が決まる最終回、公式戦出場経験がない同級生投手の登板を監督に涙ながらに掛け合い、「私がリードするから使ってあげてください」と訴えた。清原は抜群の配球を見せ、見事優勝投手に導いた。

木田監督は「仲間の努力もしっかりとみて思いやれる。仲間のために涙も流せる子」と打ち明ける。

今大会では、オーストラリア戦とイタリア戦の途中出場2試合にとどまるが、ブルペンで次に登板する投手の球を受けるなどチームを支えてきた。決して出番は多くないが、それでも、北京以来13年越しの2大会連続金メダルをチームでつかみ取ることを胸に誓っている。(王美慧)

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