ジャーク3本目、120キロを成功させた直後、体力の限界と喜びが同時に訪れたように崩れ落ち、床に額を付けた。まさに全力を出し切った瞬間だった。27日に行われた東京五輪の重量挙げ女子59キロ級に出場した安藤美希子(28)が銅メダルを獲得した。
バーベルを一気に頭上まで挙げる「スナッチ」の2本目で94キロをピタリと挙げて成功させ、この時点で6番手。得意のジャークでは2本目を失敗し、同じ120キロで申告した3本目、「ヤーッ」の掛け声で気迫込めて会場に入った。バーベルを鎖骨まで持ち上げて一瞬よろめいたが、立て直して一気に頭上まで押し上げた。成功後は立ち上がれず、コーチらに抱えられながら会場を後にした。
「挙げきったときは、『120を取ったらメダル』と意識した。ブザーが鳴ったとき、実感で感極まり、崩れ落ちた」
安藤は、新型コロナウイルス禍の影響を最も受けた選手の1人といえる。
初出場した2016年リオデジャネイロ五輪で5位入賞後、韓国に渡った。金度希コーチの指導の下、韓国選手らとともに練習し、日本記録を更新。着実に記録を伸ばし、1年前の五輪を迎えるはずだった。
昨年2月、国際大会に出場するために帰国したが、コロナ禍で延期に。日韓間の出入国が大幅に制限されたため、日本にとどまざるを得なかった。
五輪も延期となり、「気持ちの糸が切れた」という中ぶらりの状態が続いた。だが、母校の平成国際大(埼玉県加須市)で学生らとともに汗を流し、週末に千葉県白井市の実家に戻るという生活を送る中でもどかしさが消えていった。
メダルを目指し、練習漬けだった日々。体力的にも精神的にもすり減っていたことに気づいた。「車で出かけたり、リフレッシュしながら実家で過ごす安心感は精神的な癒しになった」と振り返る。
リオ五輪後、地元・白井市に設立された後援会。秋谷公臣(きみおみ)会長(70)は「最後は気力がバーベルを持ち上げたように見えた。本当に良く頑張った」と目に涙を浮かべた。「五輪が1年延期して、気持ちの面でつらいことも多かったと思うが、良くモチベーションを保って成し遂げてくれた。地元が生んだスターです」と快挙を喜んだ。
「今は行くことはできないが、韓国に行って『(メダルを)取ったよ』と、みんなに見せたい」と安藤。リオ五輪の悔しさ、1年延期の歯がゆさも乗り越えて上がった表彰台で、安藤は満面の笑みをみせた。
(橋本昌宗、塔野岡剛)