重量挙げ・八木かなえ「1キロでも重く」

スナッチ3回目で81キロに成功し、笑顔を見せる八木かなえ=26日午後、東京国際フォーラム(桐山弘太撮影)
スナッチ3回目で81キロに成功し、笑顔を見せる八木かなえ=26日午後、東京国際フォーラム(桐山弘太撮影)

女子の重量挙げが五輪種目に加わり約20年。苦悶(くもん)の表情の選手が目立つ中、にこりとバーベルを挙げる―。競技のイメージを大きく変えた55キロ級の八木かなえ(29)はこの5年、壁にぶち当たっていた。階級区分のルール変更に新型コロナウイルス禍。記録は伸び悩み、体力の低下にも直面した。それでも救いになったのは、競技を楽しむ母校の後輩たちの姿だ。全員が「かなえスマイル」の復活を信じている。

中学3年のとき、兵庫県立須磨友が丘高(神戸市)での学校見学会で重量挙げに出合った。「かっこいい!」。一目ぼれだった。5歳から続けた器械体操で養った体幹、瞬発力を武器に急成長。「ただただ強い。新しい種類の子が出てきたと驚いた」。自身も重量挙げの選手で、八木の担任教諭だった上村琢(たく)さん(48)は語る。

2012年のロンドン五輪で12位に入ると、16年リオ五輪では6位入賞と大健闘。だが自己ベストにはほど遠く、満足のいく結果とはいえなかった。帰国後、上村さんに「プレッシャーがやばかった。体が動かなかった」と打ち明けた。

その後、国際重量挙げ連盟(IWF)が階級区分のルール変更を実施し、これまで出場していた53キロ級が廃止に。55キロ級での五輪出場を目指さざるを得なくなった。「たった2キロでも、選手の体格やパワーは異なったものになる」と上村さん。階級変更以降、八木の記録は伸び悩むようになった。

そして五輪の開催延期。20代後半の八木にとって、1年が持つ意味は決して小さくない。「筋力もつかないし、ケガも増えた」(八木)。張り詰めていた糸が「ぷつっと切れた」とも表現した。

ただ、八木の活躍がマイナー競技だった重量挙げに光を当てたのは間違いない。八木を目指し、競技を始めた人も出てきた。

八木は今も母校を拠点に練習を続ける。3度目の五輪出場をつかんだ彼女の救いになったのは、その背中を追いかける若い後輩たちだった。

「高校生が楽しそうに練習しているのを見て、私も初心にかえって練習しようと思えた」。五輪開幕前、八木はこう述べ、「周りの方々に恵まれたから頑張れた」と振り返った。

間近で八木を見てきた上村さんは、こんな激励のメッセージを送っている。《高校生に恥ずかしくない試合せえよ!》。競技を始めたあの日の気持ちを思い出し、楽しんでほしいと期待するからだ。

五輪での目標は「1キロでもいい重量、1つでもいい順位」。日本中が最高のスマイルを待ち望んでいる。(石橋明日佳、大渡美咲)

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