ソウルにいて夏になるといつも思い出すことがある。今からもう40年ほども前のことだが、新聞の識者座談会で著名女流作家が「解放後数十年もすぎたというのに、まだわれわれの意識を引き締めるのに日本という刺激が必要なのだろうか」と語っていた言葉だ(1982年8月19日付朝鮮日報)。
日本の教科書検定をめぐり「(アジア)侵略か進出か」などといわゆる教科書問題で反日運動が激化したときだ。当時の全斗煥(チョン・ドゥファン)政権は事態収拾のため「反日運動で感情を発散するよりこれからは克日の努力をすべきだ」という〝克日キャンペーン〟を展開した。
「日本を克服する(日本に勝つ)」という意味の「克日」なる言葉はこのときに生まれ、その後、韓国社会に定着したのだが、女流作家はその言葉について「(いつも)日本を意識し、日本を基準か目標のように考えなければならないかのように強要される感じ」があり「日本を意識しすぎることは日本にしばられること」だから、「克日より自らに勝つという克己を優先すべきだ」と主張したのだ。