わが国の「近代資本主義の父」と称される渋沢栄一には明治政府の官僚だった時期がある。在職していたのは明治2(1869)年11月から3年半あまり。最後は「事実上の大蔵次官の地位」(『渋沢栄一伝記資料第三巻』)にありながら、直属の上司であり、「一緒になって楽しむ所謂(いわゆる)遊び仲間」かつ「肝胆相照らす親しい間柄」(『渋沢栄一全集』第2巻収載「実験論語」)だった井上馨とともに辞表をたたきつけるようにして退職する。満33歳の春のことだった。
期間は短かったものの政府の中枢にいた渋沢は、近代日本をかたちづくる決定に立ち会い、幕末維新期を彩る史上の人物たちとの関わりをもった。なかでも、まずは幕末の志士時代から知る西郷隆盛、そして西郷の盟友、大久保利通の2人が渋沢に与えた印象は格別だったようだ。