【文芸時評】8月号 女性と小説の起源 早稲田大学教授・石原千秋 - 産経ニュース

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文芸時評

8月号 女性と小説の起源 早稲田大学教授・石原千秋

芥川賞が石沢麻依「貝に続く場所にて」(群像6月号)と李琴峰(り・ことみ)「彼岸花が咲く島」(文学界3月号)に決まった。どちらもこの欄で高く評価した作品だったので、候補作を見たときに、このどちらかではなく2作同時受賞だと確信して、その通りになった。芥川賞はその作品を時代の象徴として歴史に刻む役割がある。女性2人の受賞は初めてではないが、この作風の2作品が受賞したことは現代にふさわしかったと思う。その意味でも、素直に祝福したい。

最近、近代小説の成り立ちについて考えていて、ふとしたことからヴァージニア・ウルフ『自分ひとりの部屋』(片山亜紀訳、平凡社ライブラリー)を再読することになった。僕にとって最も重要だったのはこの一節だったことに、改めて気づいた。「しかし、現在において『小説=新奇なもの』(『』でくくったのは、この言葉がぴったりだとはわたしが思っていないしるしです)、あらゆる形式の中でもいちばん柔軟なこの形式は、女性の用途にぴったり合っていると本当に言えるのでしょうか?」

この意味は、夏目漱石が高く評価し続け、その作家のように小説を書きたいと思い続けたジェイン・オースティンに関する評価を参照すれば分かる。ウルフもジェイン・オースティンを19世紀に活躍した女性作家として高く評価しながらも、当時の中流階級の男性がふつうにやっていたことが何一つできなかったと述べている。彼女は一人で出歩くことも、旅行することも、乗合馬車に乗ってロンドンを走ることも、レストランで一人で昼食を取ることもできなかった。ジェイン・オースティンはイングランド南部の長閑(のどか)な田園地帯で暮らし、イギリスの中流階級の家庭を書き続けた。ウルフはジェイン・オースティンについて、次のように述べている。「でもたぶん、ジェイン・オースティンは手に入らないものは欲しがらない性格だったのでしょう。才能と状況がぴったり一致していました」と。

話を大きくしよう。大橋洋一は『新文学入門』(岩波書店)のなかで、大航海時代が近代小説の扉を開いたという趣旨のことを書いている。それまでは、「新奇なもの」が現れても、聖職者が聖書によって意味づければよかった。しかし、大航海時代にもたらされた「新奇なもの」は質量ともにスケールが違って、聖職者の手に負えなくなってきた。そこで、その「新奇なもの」を見て体験して伝える個人に権威が移っていった。これが近代小説の起源だというのだ。これとウルフの言葉をつなげたとき、分かったのだ。この時代に女性は大航海には参加できなかったのだと。つまり、女性は「新奇なもの」を伝える近代小説の起源からすでに排除されていたのだと。ウルフが感じた違和感とは、そういうことだった。

『自分ひとりの部屋』が刊行されたのが1929年。それからほぼ90年。漱石はジェイン・オースティンになりたかったに違いないが、女性がスケールの大きい小説を書ける時代がやってきていますよと、漱石にもウルフにも教えてあげたい。

原武史『一日一考 日本の政治』(河出新書)という短い解説付きのアンソロジーをパラパラ見ていたら、「文学だけが挫折した者の小さな低い声に耳をかたむけることが出来る」(川本三郎『マイ・バック・ページ』から)という一節が目に飛び込んできた。川本三郎の痛切な体験から出た言葉だという。だから、川本三郎がこう書いた必然性は理解できる。しかし、僕の感想は「それはないよ」だった。僕が引っ掛かったのは「だけが」だ。そもそもこういう文学だけがいいとも思っていないが、世の中にはいくらでも「挫折した者の小さな低い声に耳をかたむける」活動をしている人々がいる。文学「だけが」それができるなどという言葉を選んでほしくはなかった。