カンヌ脚本賞の濱口作品も ロケ地・広島の磁力

広島市環境局中工場付近の公園で撮影された映画「ドライブ・マイ・カー」のワンシーン(©2021「ドライブ・マイ・カー」製作委員会)
広島市環境局中工場付近の公園で撮影された映画「ドライブ・マイ・カー」のワンシーン(©2021「ドライブ・マイ・カー」製作委員会)

広島が映画のロケ地として熱い視線を浴びている。広島フィルム・コミッション(FC)が撮影支援した今夏公開予定の映画は4本。作家、村上春樹さんの短編小説を映画化し、第74回カンヌ国際映画祭で脚本賞など4冠に輝いた濱口竜介監督の「ドライブ・マイ・カー」はそのひとつだ。約3分の2が広島県内で撮影された。被爆地として広島を扱った作品も多いが、それだけではない。なぜ広島に魅了されるのか。そのわけを探った。

村上春樹さんの短編小説「ドライブ・マイ・カー」を映画化。真っ赤なサーブ900が広島の街を走り抜ける(©2021「ドライブ・マイ・カー」製作委員会)
村上春樹さんの短編小説「ドライブ・マイ・カー」を映画化。真っ赤なサーブ900が広島の街を走り抜ける(©2021「ドライブ・マイ・カー」製作委員会)

今夏、続々公開

今夏公開されるのは「ドライブ・マイ・カー」(8月20日公開、西島秀俊さん主演)▽柚月裕子さんのベストセラー小説を映画化した白石和彌監督の「孤狼の血」の続編「孤狼の血 LEVEL2」(8月20日公開、松坂桃李さん主演)▽日本の原爆開発に翻弄される戦時下の若者3人を史実に基づいて描いた黒崎博監督の「映画 太陽の子」(8月6日公開、柳楽優弥さん、有村架純さん、三浦春馬さん共演)▽父の被爆体験を克明に記録した美甘(みかも)章子さんの著書が米映像作家によって映画化された「8時15分 ヒロシマ 父から娘へ」(7月31日から全国順次公開、広島は8月6日公開)。

「ドライブ・マイ・カー」はカンヌ4冠の快挙を達成。広島FCが誘致・支援した作品のカンヌ選出は昨年の河瀬直美監督の「朝が来る」に続いて2年連続となった。

広島FCの設立前は、広島がロケ地として使われる作品のテーマは原爆が主だった。だが、平成14年12月の設立以来、それぞれの映画が求めているものにふさわしい場所や他都市が設定でもそれに合った場所を探し出して広く紹介。設定は東京だが、爆破シーンを撮影するために商業施設との交渉を成功させたこともある。

今では広島FCとしてドラマやドキュメンタリーなども含め手掛ける作品は年間約250本に及ぶ。厳しい予算の中で海外誘致にも精力的に動き、海外作品の支援は全国トップクラスだ。

印象的な中工場

「原爆じゃないと、広島で撮影してはいけないと思っていたと何人もの監督さんに言われました」と振り返るのは広島FC設立当初から携わる西崎智子さん。

西崎さんは誘致活動はもちろん、ロケ地の提案や撮影を順調に進めるために撮影の許可申請や交渉、エキストラの手配、トラブル対応などの役割をこなしながら数々の作品を支えてきた。

話題の「ドライブ・マイ・カー」の原作の舞台は東京で、主なロケ地としても、当初は韓国・釜山で決まっていたという。だが、新型コロナウイルス下で海外ロケが行えず、映画の設定となっている国際演劇祭の開催地に適した都市を探していたそうだ。

西崎さんによると、平和記念公園や広島国際会議場、平和大通り、広島高速3号線や4号線などが映し出されている。

特に濱口監督がほれ込んだ場所の一つが、河口の埋め立て地に建てられた美術館のような趣があるゴミ処理施設「広島市環境局中工場」だ。

平和記念公園を設計した丹下健三さんの弟子で、米ニューヨーク近代美術館(MoMA)などで知られる建築家の谷口吉生さんが手掛けた。原爆ドームと原爆死没者慰霊碑、広島平和記念資料館を南北に結ぶ軸線の延長上にあり、建物中央はガラス張り。通路を抜けると正面には海が見えてくる。

「建物内部の中央をガラス張りにし、平和都市の『軸線』を遮らずに海へと抜けるようにして浄化させていると説明したら、台本に書かれていてすごくびっくりしました。映画に出てくる女性ドライバーさんの大切な場所にもなっています」と西崎さん。圧倒的なスケール感や美しい建築物であることだけでなく、中工場が持つ背景に訴えかけるものがあるからだ。

西崎さんによると、濱口監督は広島でのロケの際に「ヒロシマを撮るのは自分には早い。この街にきてカメラを回すことはいけないんじゃないかな」と思っていたという。平和記念公園内の広島国際会議場なども映し出されるが、濱口監督は原爆死没者慰霊碑前では絶対に撮影しなかったという。

女優の心に残る広島

西崎さん自身、原爆や広島への思い入れは強い。香川県出身で、神戸外大卒。夫の転勤に伴って2度目の広島在住となった平成8年ごろから原爆や広島について少しずつ学ぶようになった。

広島フィルム・コミッションの西崎智子さん
広島フィルム・コミッションの西崎智子さん

今年4月に亡くなった語り部の岡田恵美子さんの被爆証言もこのころ初めて聞き「岡田さんの気持ちに身を置くうちに、すごく染みわたってきた」。原爆や平和を伝える側にならないと、という思いを強めていった。

西崎さんにとって、昭和34年に公開されたアラン・レネ監督の日仏合作「ヒロシマ・モナムール(邦題・二十四時間の情事)」も印象深い映画の一つだ。復興期の広島が舞台。公開当時、日本では話題にならず約2週間で打ち切られたそうだが、フランスやドイツなど欧州では知らない人はいないといわれるほどの有名な映画だという。

西崎さんはもちろん映画撮影時に携わったわけではないが、平和記念公園を訪れる欧州の人々が「ようやくロケ地に来ることができた」と話すのを何度も聞いていた。

その映画の主演女優、エマニュエル・リバさん(故人)が平成20年、昭和33年の広島ロケの合間に自ら撮影した写真が自宅で発見され、その写真展を開催することになり50年ぶりに広島を訪れた。西崎さんはロケ地をめぐりたいというリバさんを案内したという。

広島を再訪した映画「ヒロシマ・モナムール」主演のエマニュエル・リバさん。撮影したホテルの部屋があった場所で思いを語っていた=平成20年、広島国際会議場(広島フィルム・コミッション提供)
広島を再訪した映画「ヒロシマ・モナムール」主演のエマニュエル・リバさん。撮影したホテルの部屋があった場所で思いを語っていた=平成20年、広島国際会議場(広島フィルム・コミッション提供)

当時、映画の重要シーンが撮影されたのが現在の広島国際会議場(旧新広島ホテル)。リバさんは足を踏み入れた途端、大きく感情を揺さぶられ、フランス語で一気に何かを話したという。残念ながら、近くに通訳がおらず内容を把握することができなかった。

写真展に際し記者会見を開いたリバさんは、子供たちの笑顔の写真が多かったことについて「傷あともたくさん見たが、それは写真に撮ることができなかった。広島がずっと気になっていた。街が大きく美しく復興し、幸せに思う」と話したという。

平和への思いを熱く語るリバさんに西崎さんは「すごくうれしくて、ボロボロ泣いてしまいました」と振り返る。

■訴えかける広島

この話を「ドライブ・マイ・カー」の撮影スタッフに話すと、「ヒロシマ・モナムールゆかりの場所も撮影に使いたい」ということになったという。

西崎さんは「クリエーターの方というのは、原爆ドームを見ただけでもウーッと感情が入っているのが分かることがある」と話す。

昨年4月には、ビデオゲームがテーマの作品で撮影に来たメキシコの若い監督が平和記念公園を見て、急遽(きゅうきょ)広島にも焦点を当てた撮影を希望したこともあったという。

広島を「パワーシティー」と表現する西崎さん。「何かしらそれぞれの心に訴える力がある。それが広島」と話していた。(嶋田知加子)