最終聖火ランナーは大坂なおみ 大会のテーマを象徴

東京五輪の開会式で、聖火台に点火したテニス女子の大坂なおみ=23日夜、国立競技場
東京五輪の開会式で、聖火台に点火したテニス女子の大坂なおみ=23日夜、国立競技場

新型コロナウイルスの影響で史上初めて延期され、1年遅れて迎えた東京五輪。開幕を告げる開会式最大のクライマックス、聖火台への点火を担ったのは、プロテニスプレーヤーの大坂なおみ(23)=日清食品=だった。人種による差別をなくし、多様化社会の実現を求めてきたメッセージは、会員制交流サイト(SNS)で世界に広がる。東京五輪が基本コンセプトの一つに掲げる「多様性と調和」を体現する存在だ。

ハイチ出身の父、レオナルド・フランソワさん、日本人の母、環さんの間に生まれ、3歳から米国で暮らす。父は、大坂と姉をプロテニス選手に育てるため、フロリダに移住。しかし、レッスン代を払うのにも苦労する家庭環境だった。

移民のハンディを乗り越え、四大大会を制するまで上り詰めたサクセス・ストーリーは、マイノリティー(人種的少数派)にも活力を与える別格の存在だ。

影響力はコートの外でも圧倒的だ。昨夏の全米オープンでは、白人警官らに殺害された黒人被害者名入りのマスクを7人分着用。「もっと関心を持って、知ってもらいたい」と訴えた。米国での人種間対立、欧州での移民差別、新型コロナウイルス禍でのアジア系蔑視。分断される世界をつなぎ留めようと言葉を紡いできた。

57年前も大会のテーマを体現するアスリートが務めた。1964年10月10日午後、「戦後復興と平和」を掲げた前回東京五輪の最終聖火ランナーは坂井義則さんだった。当時の国立競技場のバックスタンド最上段に立ち、聖火台に点火する姿は、64年大会を振り返る度に繰り返し映し出されてきた。当時の坂井さんは早大の短距離選手。目標とした五輪への出場はかなわなかったが、いまでは、メダリストにも負けないほどの知名度を誇る。

広島に原爆が投下された1945年8月6日に広島県三次市で生まれた。敗戦から復興を果たした五輪を象徴し、「平和」を訴える存在として白羽の矢が立った。

前日は雨だった。それが一転して開会式当日はこれ以上ない快晴となった。超満員の観客席に聖火台へ刻まれた一筋の階段を駆け上がる。最上段からの眺めは絶景だった。「真っ青な空。高層ビルもまだない。まさに特等席で、本当にきれいだった」

57年ぶりの東京も晴天に恵まれた。生まれ故郷の日本を「大切な母国」と語る大坂はこの日、聖火台の階段をゆっくりと上った。灯した聖火が新型コロナウイルス禍の影響で1年延期という苦難を経て「東京」に集い、史上最多33競技339種目に挑むアスリートたちを照らし、17日間の熱戦を見守る。再びの東京五輪が開幕した。