右手を高々とあげてガッツポーズした。東京五輪柔道男子60キロ級を制した高藤は相手と抱き合い、笑顔で畳を下りて男泣きした。小学生のとき、2000年シドニー五輪で日本勢の活躍をテレビでみた。「あの場で僕も取りたい」とあこがれた金メダルに自国開催の舞台で日本勢一番乗りでたどりついた。
初出場した5年前のリオデジャネイロ五輪は銅メダル。悔しさしか残らなかった。「安定感をつけないといけない」。スピードと身体能力の高い猛者が集まる男子最軽量の60キロ級で勝ち続けるためには、派手な一本勝ちだけでは危うい。相手の攻撃に耐えられるように下半身を鍛えた。ダイナミックな技に固執せず、攻守に手堅く勝てる戦術を磨いた。サポートする付き人の伊丹直喜さんが「変化を恐れない」と話すように、ひたむきに勝利を求めた。
コロナ禍の1年延期で稽古ができないときも走り込み、「脳みその中は強くなれる」と、いろいろな選手の動画を見てイメージを膨らませた。「とにかくやりこんだ5年間だった。自分の頭の中に柔道の攻略本を作った」。積み重ねた練習量に裏打ちされた自信を手に入れ、緊張も重圧も感じることなく五輪を迎えた。
準々決勝以降の3試合はすべて延長で、技による華麗な一本勝ちもなかった。「豪快に勝つことはできなかったけど、これが僕の柔道です」。むしろ、誇らしげだった。
リオ五輪から帰国後、イベントなどで前に出るのは金メダリストだった。目立ちたがり屋は「背景のような存在。この5年間、銅メダリストとして生きてきた」と悔しさを募らせてきた。自宅のリビングには過去の大会で獲得した数えきれないほどのメダルが飾ってある。悔しさを忘れないよう、リオ五輪の銅メダルを目立つ位置に置いた。長男が「なんで金メダルじゃないの」と疑問を口にしたことに「グサっときた」と苦笑する。5年間でため込んだ「勝ちへの執念」が実を結んだ。
金メダルを飾る場所は決まっている。リオの銅メダルを隠すように、その前に-。(田中充)