話の肖像画

デザイナー・コシノジュンコ(81)(22)中国でブティック2店、天安門事件で撤退

中国・北京で開店したブティック
中国・北京で開店したブティック

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《1985(昭和60)年、中国でショーを開いた。当時、新華社通信は「外国人では初となる最大のショー」としている》


この年、4桁の数字が並んだ電報が中国の美術学院からブティックに届いた。服装改革を進めていた中国で、最先端のファッション文化を知ってもらおうと、ショーの開催計画を模索しているときでした。

電報の内容が分からず、中国大使館へ持ち込んだところ、中国への招待状と判明。入国ビザの申請に必要な数字とのことでした。現地情報がない中でショーを開くという、無謀ともいえる計画。現地では前例のない大型ファッションショーのため、ステージ用のカーペットや壁の紙など、トラック1台分の荷物を日本から持ち込みました。

会場は北京飯店の西楼で、ここでもトラブルが続出します。立派なホテルなのに、電力不足で会場には電気がつかず真っ暗。これでは荷物も開けられないと、電源車を持ってきてもらいましたが、会場まで電線をつなぎ合わせるのに10時間もかかりました。そのうえ、準備もままならない中、なぜだかゲストが真っ暗な会場にどんどん入ってきて席が埋まっていく…。まだ裏には段ボールが積みあがったままです。

「どうして(会場を)開けちゃったの」と聞くと、「公開リハーサルだといって開場しました」と現地スタッフ。モデルたちも戸惑いの表情を浮かべています。でもせっかく来てもらったのだから、なにか見せないといけないと思い、暗闇の中、モデルのウオーキングの練習を見てもらうことに。

練習をすること約1時間。突然、会場に電気がつきました。急いで段ボールを開け、フィッティングはせずに、モデルに次々と衣装を着せて、見せて…。日本だと考えられない段取りですが、ゲストたちは喜んでくれました。リハーサルでも何かを感じ取ってもらえるものなのですね。

これ以降、ショーを行うときには「公開リハ」をするように。何かを吸収してもらえれば、とファッションを学ぶ学生らに見せたりしています。


《当時の中国では多くの市民が人民服を着ていた。ファッションの自由への扉が開かれようとしているときだった》


このころの中国は、ファッションの波がまだ訪れていない〝まっさら〟の状態。美容室やサロンといったファッションに関する仕事はほとんどなかった。男性は道端で散髪をし、女性は髪の毛を伸ばしたままで、切らない風習があった時代です。

だから、私のショーは刺激になってくれたのではないでしょうか。当時、ショーに携わった人やゲストの多くが現在、ファッション関係の仕事についていると聞いています。いろいろな職業が見いだされ、「ファッションは面白い」と示せたことは大成功ですね。

中国では1986、87年に婦人服と紳士服のブティックを2店オープン。オープンの日には、約3千人が集まり店周辺はごった返しに。新しい文化が始まるという期待が募りました。

しかし、89年に天安門事件が勃発。日本の店や企業はほとんどが撤退を余儀なくされた。せっかく文化の流入があったにもかかわらず、それが途絶えたことは大変残念です。

その26年後の2015年、日中観光文化交流団の一環で訪中した際に、ショーを北京飯店で行いました。フィナーレで舞台に上がると、大量のシャッター音とフラッシュの波に出迎えられました。拍手ではなく、みんなスマホを向けて写真を撮るわけです。昔の中国からは考えられない光景。26年でこんなにも変わるのか、と時の流れに驚いた瞬間でした。(聞き手 石橋明日佳)

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