論壇時評

8月号 国際政治の荒波にもまれる五輪 文化部・磨井慎吾

東京五輪・パラリンピックのバナーが掲げられた東京・新宿を行き交うマスク姿の人たち=15日午後
東京五輪・パラリンピックのバナーが掲げられた東京・新宿を行き交うマスク姿の人たち=15日午後

あす、ついに東京五輪の開会式を迎える。だが東京都に対して4度目の緊急事態宣言が出され、大多数の会場で無観客開催が決まった中であり、祝祭ムードとは程遠く、国民の反応は芳しくない。

昨年春に新型コロナウイルス禍を受けて五輪の1年延期が決定されて以降、開催の是非や観客収容問題をめぐり国論はずっと割れてきた。もはや経済効果はまともに期待できず、主目的もいつの間にか東日本大震災の復興から「人類がコロナに打ち勝った証し」へと移っている。分断の五輪と評するしかないような状況だが、果たしてここから、同じく開催前には国民の支持が非常に低調だった57年前の前回東京大会のように、開催後に評価を逆転させることができるのだろうか。

社会心理学者の池田謙一の「『五輪成功』の幻にすがらない政治を」(Voice)は、五輪開催やワクチン接種対応について、世界のコロナ対応に関する世論調査を参照しつつ、そもそもなぜ日本国民が政府にここまで不信感を持つに至ったのかを問う。

国際的にみてもコロナの感染状況と政府への信頼度はリンクしており、一時は感染収束の成功例だと自他共に任じていたインドや台湾でも、ひとたび感染爆発が起きると政府信頼度は大幅に下落した。この状況を変えるカギとなるのがワクチンで、米国の例からしても「ワクチン接種率が高まると、支持政党を超えて政府に対する評価が改善する」と池田は述べる。日本政府が本気で五輪成功へ向けて国民の支持を得たかったのなら、少なくともワクチン接種率は現状よりもっと高めておく必要があっただろう。

池田はいま日本国民が政府に不満を抱いている理由について、政治に対する発言力がないように感じられる「他律感」、ワクチン接種や五輪開催の進め方をめぐる「納得感」の不足、その結果として各政策の整合性や社会的コンセンサスが取れないまま現場に丸投げされ末端が疲弊していくことから生じる「分断」の3要素を挙げ、「リーダーや統治者が社会をコントロールできていないという『統治の不安』が顕在化」していると論じる。それは煎じ詰めれば、国民の理解を得るための説明の不足ということになる。いったい何のための五輪なのか。明快な説明が国民になされないままでは、たとえ五輪で日本選手の金メダルラッシュがあったとしても、一般に「成功」と認識されるかは微妙だろう。

そして6月20日に東京都の緊急事態宣言が解除されてから、今月12日に4度目が出されるまではわずか3週間だった。五輪を目前に控え、官邸や各省のどのような関係の中でこうした判断が決まっていったのか。コロナに関する政府の基本的対処方針分科会のメンバーである経済学者の小林慶一郎の手記「コロナ第四波『菅官邸の陥穽(かんせい)』」(文芸春秋)は、その内幕を明かして必読の内容だ。

リバウンドの兆しが見える中で、なぜ首相や官邸は宣言解除を急いだか。それは「財務省が協力金や給付金に関して、『十兆円を超える予備費で十分手当てした』『これ以上の財政出動はありえない』と強く主張」したため、休業や時短を強いられ経営的に限界に達しつつある飲食業を救う手段が他になかったからだった。そして「財務省が堅い姿勢を取り続ける背景には、財務省が政治家を信用していないという問題が隠れています。『政権の言うとおりにお金を出しても、後で増税させてくれない』と財務省は思っていて、だから一歩も譲らぬという姿勢を取り続けている」。

いま最大の懸念材料となっているインド由来の変異株「デルタ株」の水際対策については、早い段階で流行地域からの入国者の停留期間を14日間にすべきだとの主張があったのに、厚生労働省はマンパワー不足を理由に6日間待機が限度だと官邸に訴え、人手を国土交通省から回す分科会の調整案も受け入れられなかったという。その結果、貴重な時間が空費されて「この数カ月のコロナ対策の中でも最大の失敗のひとつ」を招いた。そこから浮かび上がるのは、本来は司令塔として各省庁の交通整理に乗り出すべき官邸が、うまく機能していない現状だ。

しかし今回、なぜ日本政府はこれほどまでに五輪開催に執着したのか。政府要路者が明言をためらう「本音」の一つをついているのが、国際政治学者の村田晃嗣による「二十一世紀の『危機の二十年』に備えよ」(Voice)。第一次大戦とスペイン風邪を経たのちに初めて開催された1920年のアントワープ五輪を参照しながら、「オリンピックはつねに国際政治の荒波にさらされてきた」と説き起こす。

もし東京五輪が今年に行われなければ、コロナ後初の大会は来年2月の北京冬季五輪となり、そこで「人類がコロナに打ち勝った証し」が喧伝(けんでん)されることになるが、その展開を喜ばない国は多いだろう。「東京オリンピックが中止に追い込まれながら、北京オリンピックが成功すれば、日本外交にとっては打撃である。もちろん、中国はさらに勢いづこう。イギリス、コーンウォールで今年六月に開催されたG7サミットの共同宣言が東京オリンピックの開催支持を表明した背景にも、こうした計算が働いている」と村田は指摘する。ただ北京冬季五輪への波及を危惧する中国は一貫して東京五輪開催支持を表明しており、いまこの「本音」を言うのはなかなか難しいだろうが、後世から振り返れば東京五輪の「目的」として明確に挙げられるものの一つになるかもしれない。(敬称略)=次回は8月26日掲載予定

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