世界の祭典が始まる興奮は感じられない。東京の街を歩いても、ところどころで外灯に設置された大会フラッグが揺れているものの「東京五輪」の文字を目にすることは多くない。
新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言と厳しい暑さが重なったためか、開幕から1週間をきった先週末でさえ、にぎわいからはほど遠く思えた。
都内の競技は全て無観客となり、会場やメインプレスセンター(MPC)といった関連施設のほかでは、公式ユニホームを着たボランティアらの姿もまれだ。競技会場が集まるお台場などの臨海エリアでさえ、施設外で最も多く見かけた大会関係者は、全国から集まる警察官だった。
17日には、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長の記者会見を取材した。記者の質問は新型コロナ対策に集中。バッハ会長は「世界で最も厳格な対策をしている大会だ」と安全性を強調したが、翌日には初めて選手村に滞在する選手の感染が発表された。「新型コロナに打ち勝った証となるのか」。疑念は消えない。
確かに盛り上がりには欠ける。だが、オリンピックへの敵意に満ちているかといえば、それも違う。
フェンスに囲まれた会場では、中の様子を撮影しようと高架からカメラを構える人の姿もあった。電車で会場近くを通過すると、隣の乗客が外壁に描かれたピクトグラム(絵文字)をもとに友人と何の競技会場か予想しあっていた。
不安と期待がてんびんにかかる。そんななか、開会式を前に21日からソフトボールの公式戦が始まった。
開催の成否を左右するのは何か。感染対策もあるだろうが、加えて、選手たちが何を語るかだろう。
彼らはコロナ禍で練習や行動を制限され、「五輪だけ特別扱い」と冷ややかな視線もある中、開催を信じて汗を流してきた。
逆風の中で踏みとどまれた支えは何だったのか。誰もが我慢を強いられている今、明日を生きる指針になってくれるはずだ。
多くの人が、壁に立ち向かっていこうと思える言葉と出合える。それがコロナ禍で大会を開催する一つの意義になるのではないか。感染対策が機能しているか注視しつつ、不安が希望に変わるような選手のメッセージも伝えていきたい。(野々山暢)
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五輪を取材する記者たちが、開催地の様子や会場の熱気、選手たちの奮闘を通じて感じたことをリポートします。