【from和歌山】死と命のあり方に、想いを - 産経ニュース

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死と命のあり方に、想いを

プシュッ…という音とともに、缶から白い泡があふれ出た。「藤﨑家之墓」。そう刻まれた石に冷えたビールを注ぐ。父はビールが好きだった。「アルコールをかければ墓石が傷む」。そんな声も聞くが、「野暮(やぼ)な奴もおるな。父さん…」とつぶやいた。

6月14日、大阪府北部の霊園。22年前は葬儀の日だった。「死」とは何かを考え続けるため、足を運んでいる。

父は肺がんで世を去った。51歳。他界する直前、父は長男の私を喪主に指名していた。葬儀の日、生前に書き上げていた挨拶(あいさつ)文を読み上げた。最初のがんの手術はその約7年前。覚悟していたはずだ。死は父にとって身近な存在だったからだ。

昭和40年代に大学時代を過ごした父は、学生運動に身を投じた。何らかの理想を抱いてのことだろう。だが、現実は違っていた。

近畿地方の大学。運動の中、友人の1人が敷地内で寝ていた際、敵対勢力に襲われ、建物2階から突き落とされ、殺されたのだという。「考え方が違う」。理由はそれだけだった。

ほかにも被害を受けた人がいたと聞いた。そうした状況に嫌気がさした父は運動から身を引き、家業の陶器類販売店を継いだ。以降、「せともの屋の店主」として地域に根ざし、歳月を重ねた。

20年近くを経て病にむしばまれた。手術を重ねても希望は捨てなかった。それでも、最期の日は近づいていた。

私と父の2人だった夜の病室で、「お前が喪主をやるんや。悲しむな。これは、運命なんや…」。すべてを受け入れた声だった。数日後、私や母、祖母、弟らで見送った。朝の光が差し込む。6月が近づくたびに思い出す。

死を想う-。それは限りある命をどれだけ真剣に生きるかを考えること。「いかによりよく生きる」かを考えるとも言える。

今、記者として多くの死と向き合う。事件や事故、内容にかかわらず命の灯が消えるたび、意味と重さを思い知る。

広島・三原の女児は自宅から迷い出て貨物列車にはねられた。社交ダンス愛好家の男性は、100人以上が犠牲となった兵庫・尼崎の列車事故に巻き込まれた…。記者人生で記憶に刻まれる人々。ひとりひとりの軌跡を思い、記事を書いてきた。

あと4年ほどで父と同じ年齢になる。死や命のあり方を、これまで以上に深く考えている。

「命の重みを忘れない」。そう考えつつ、ビールの泡でぬれた墓石に水をかけ、スポンジで拭った。

(藤崎真生)