413球の熱投から13年 ソフト上野、再び伝説生まれるか - 産経ニュース

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413球の熱投から13年 ソフト上野、再び伝説生まれるか

2008北京五輪のソフトボールで金メダルを獲得し、肩車される日本・上野由岐子投手(中央)=2008年8月21日、中国・北京の豊台ソフトボール場 (撮影・浅野直哉)
2008北京五輪のソフトボールで金メダルを獲得し、肩車される日本・上野由岐子投手(中央)=2008年8月21日、中国・北京の豊台ソフトボール場 (撮影・浅野直哉)

日本中を歓喜で沸かせた「413球の熱投」から13年。ソフトボール界のレジェンドが五輪の舞台に戻ってきた。2008年北京五輪で悲願の金メダルを獲得した日本が自国開催の大舞台で狙うは2連覇。大黒柱のエースを担うのは22日で39歳になる上野由岐子(ビックカメラ高崎)だ。初戦(豪州)は被災地の福島で21日に開幕。再び右腕が日本を頂点へと導く。

開幕戦を翌日に控えた20日、会場の福島県営あづま球場で行われた公式練習。グラウンドに姿を見せた上野は笑顔だった。ブルペンで変化球を交えて投球練習を行い、最後の準備を整えた。

後ろで髪を束ね、こんがりと日焼けした表情が順調な調整を物語る。日差しの強さに「想像以上に暑い」と話しつつ、「やっと試合ができるという気持ち。高ぶりすぎないようにしたい」と開幕が待ち遠しい様子だった。

「長かった」。北京五輪からの空白期間をこう振り返る。決勝トーナメントに入り、2日間で行われた決勝までの3試合を1人で投げ抜いた「上野の413球」は今なお、多くの人たちに鮮やかな残像がある。しかし、年齢を重ね、球威だけで押すかつてのスタイルに緩急や配球の妙を加えた。「正直、北京のときみたいな投球はもうできない。年をとれば体が変わり、投げているボールも違う」と打ち明ける。

当時と変わらないものがある。上野はいう。「目標とする場所は同じ。今の自分だったら、どうやって金を取るか」

2013年9月に東京五輪招致が実現した。16年夏に追加種目で野球・ソフトが入った。当初の上野は五輪を目指すことへの明言を避けた。「ソフトをやっている世代に目標をつなぐことができた。競技の活力になるというか、すごく大事なことでうれしかった。じゃあ、自分が五輪の舞台に立ちたいのかという思いは別だった。踏ん切りもなかなかつかなかった」。チームの宇津木麗華監督が日本代表の指揮を取ることが決まり「もう腹をくくるしかない」と決意を固めた。

北京五輪以降、競技の注目度は急降下した。それでも、上野は第一線で投げ続け、自身にあこがれを抱いてくれた選手たちに背中を見せてきた。2018年に千葉で開催された世界選手権も銀メダルで最後は〝上野頼み〟だった。

度重なる試練を乗り越えた。左膝痛に苦しみ、19年春には打球が直撃した左顎を骨折するアクシデントに見舞われた。コロナ禍の1年延期に、今年4月には右脇腹の肉離れで全治3週間と診断された。今大会は7日間で最大6試合の過密日程になる。投手は北京五輪より1人少ない3人。重責を覚悟している。

コロナ禍での1年延期で強化策は見直しを余儀なくされた。宇津木監督は「道は一つじゃない」と前を向いた。同じ表現を上野も使った。

「私の中の道はもともと一本じゃない。ゴールは同じでも、コンディションや心も含めて寄り道の仕方は色々ある。どっちに転んでも自分がコントロールできるために芯がぶれてはいけない」。開催の可否をめぐって世論が騒がしくなっても「五輪があるから頑張れているけど、五輪だけのために頑張っているわけではない」と冷静だった。

開幕戦は、全競技の先陣を切って福島でプレーボール。「復興五輪として、福島の地でスタートする意味をずっと考えてきた。グラウンドで自分たちの全てを出したい。無観客でも熱い思いを伝えたい」と強い覚悟をにじませる。

個人の栄光はもういらない。「個人的な結果よりもとにかくみんなの期待に応えたい。五輪の金メダルは使命感。ただ、それだけ。そのために自分は頑張れている」。サインを求められると、成功を信じるという意味で「成信力」と書くという。期待を一身に背負う右腕の「伝説の第2章」が間もなく幕を開ける。(田中充)

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