【再掲 一聞百見】ブーム起こす条件 山口百恵らを育て60年 音楽プロデューサー、酒井政利さん(1/3ページ) - 産経ニュース

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再掲 一聞百見

ブーム起こす条件 山口百恵らを育て60年 音楽プロデューサー、酒井政利さん

プロデューサーの仕事を「人・人の間の『・』の役割」と話す酒井政利さん。世に出したアイドルは数知れず=東京都千代田区(三尾郁恵撮影)
プロデューサーの仕事を「人・人の間の『・』の役割」と話す酒井政利さん。世に出したアイドルは数知れず=東京都千代田区(三尾郁恵撮影)

<16日に死去した音楽プロデューサーの酒井政利さんは令和2年12月、産経新聞のインタビュー連載「一聞百見」に登場しました。その記事を再掲します>

南沙織、郷ひろみ、山口百恵…。昭和を彩る数々のスターを育て上げ、300人以上を世に送り出した「伝説のプロデューサー」、酒井政利さん(85)。今年10月には文化功労者に選ばれ、来年はプロデューサー活動60周年を迎える。誰もが知る名曲と故郷・和歌山とのかかわりなど、これまでの歩みを振り返るとともに、今後の音楽シーンを展望してもらった。

(聞き手・和歌山支局 前川康二)

世に出したスターは300人超え

「世話になった方や、ともに働いた方のおかげ。この仕事はリレーション(関係性)が大事ですから」。文化功労者に決まると、笑顔で感謝の言葉を口にした。プロデューサーの仕事を「人・人の間の『・』の役割」と話す。「人の魅力はつくれない」が持論。

「アーティスト本人が心底持っている、あふれ出るものをいかに磨き上げるかを考えることが一番の仕事」という。

例えば、昭和46年に鮮烈なデビューを果たした南沙織。当時、まだ一般的ではなかった「アイドル」を世に送り出そうとしていた矢先、知人の紹介で出会い、「潮風のようなすがすがしさと独特の存在感」にひかれたと振り返る。「かわいい」と同時に、主張、表現力も兼ね備えていた。その魅力をストレートに伝えようと、歌謡曲全盛の時代、あえて採用したポップス調の音楽に私は生きているというメッセージをこめた。「17歳」というタイトルは、酒井さん磁針が命名。出会いからわずか3カ月後のデビューで、その年の日本レコード大賞新人賞を受賞。後に「元祖アイドル」と称された。

翌47年にデビューしたのが郷ひろみ。「あの美形の顔立ちと、一見陽気だけど影も感じる。その光と影で人物像を立体的に見せるよう工夫しましたね」。デビュー曲「男の子女の子」をはじめ、「よろしく哀愁」など、相反するキャッチーな言葉を連ねた曲の数々は大ヒットを記録した。

歌手の資質は「ちょうどつぼみが花開くように、大人になる直前の13、14歳のころが一番よく見える」と語る。山口百恵を見いだしたのも13歳の頃だった。オーディションに送られてきた1枚の写真に、強烈な光と影を見た。同時に「大地に足をつけ、まっすぐ生きていく人だな」と感じた。その見込み通り、どんどん表現力を高めた。

いずれもプロデュースで心掛けたことは、成長する姿をその時々に楽曲で記録すること。「その時の力が5なら6を、7なら8をという具合。その少し背伸びする姿がファンを引き付けるんです」。そんなスターの原石をどう見つけるか。「普通に探しても無理。こういう人と出会いたい、という『想念』を持ち続けるしかない」