話の肖像画

デザイナー・コシノジュンコ(81)(18)いざ!!パリコレ テーマは中国

パリコレクションのテーマ探しのため、文化大革命終結から2年後の中国を訪れた
パリコレクションのテーマ探しのため、文化大革命終結から2年後の中国を訪れた

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《1978(昭和53)年、ついにパリコレクションへ参加することになる》


パリでは、すでに高田賢三さんがブティックをオープンし、活躍していた。なんでも一番乗りでやってきた私としては、賢三さんがやっているからといって、「じゃあ私もパリへ」とはならなかった。自分自身の作品で、最高にいいものを作った後に、その勢いでパリに乗り込もう―そう考えていました。

パリコレに参加する前年、帝国ホテルで「プリミティブ・アメリカ」をテーマにショーを開催。これは、今までで一番満足のいくショーでした。

モデルには、山口小夜子さんを起用。会場の真ん中にはハトを隠しておいて、床の下から飛ぶように仕掛けを施した。羽の枕も一緒に潜りこませておいて、送風機で羽毛を舞わせる―幻想的な空間を作り出せたと思います。

当日の会場は、人が入りきらないくらい満員の状態。たった一度きりの開催でしたが、観客やメディアからはとても好評をいただきました。

この感覚のままパリへ行くぞ。決意が固まりました。


《ショーのテーマは「プリミティブ・オリエンタル」》


最初は、日本をテーマにしたショーにしようと考えました。でも、すでに賢三さんや他のデザイナーが日本をテーマにしたコレクションを発表していたため、被(かぶ)ることは避けたかった。影響されたり、まねたりすることは絶対に嫌だったのです。

そこで、「日本のルーツ」とは何だろうと考えました。歴史的にも文化的にも、中国なくして日本を語ることはできないだろう。一度、この目で見てみようと、文化大革命が終結して2年後の中国にテーマ探しの旅に出ました。

中国には知り合いはおろか、日本人もほとんどいない状態。「スワトウ刺繡(ししゅう)(広東省汕頭(すわとう)市の伝統工芸)の展示会がある」と聞きつけ、それを足掛かりに夫と2人で上海へ飛びました。上海に降り立った瞬間から、私たちは好奇の目で見られましたね。ロングヘアの夫とショートヘアの私。「あなたたちどこから来たの? 少数民族なの?」なんて聞かれて。街を歩いているだけで、現地の人がぞろぞろと後ろについてくるくらい、目立っていました。

肝心のテーマ探し、というと難航しました。当時の中国は文革の影響が大きく残る、色がない街だった。市民が着ている服は緑やグレーの人民服で、その表情や様子は暗い。物もなく「贅沢(ぜいたく)は敵」というような感じでした。

大変な場所に来てしまった。これはテーマ探しどころではないかもしれない…。そのあと上海から北京に移動し、万里の長城へ向かいました。でも、全然テーマは定まりません。

あきらめかけている中、万里の長城から北京へ戻るタクシーの中で流れていた音楽に心を惹(ひ)かれました。

「なんてすてきな曲なんだろう」

少数民族・ヤオ族の舞曲「幸福年」。タクシーの窓から見える田園風景に合っていて、なんとも懐かしく、ほろりとしてしまうような調べでした。

急いでタクシーの運転手さんに曲名を聞き、レコードを手に入れました。

この音楽でフィナーレを迎えよう。ショーの輪郭が見えた瞬間でした。(聞き手 石橋明日佳)

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