「大福密約」確認できず 福田メモ初公開

「評伝 福田赳夫」五百旗頭真 監修
「評伝 福田赳夫」五百旗頭真 監修

福田赳夫元首相(昭和51~53年に首相)の実像に迫った「評伝 福田赳夫 戦後日本の繁栄と安定を求めて」(五百旗頭真監修、岩波書店)が話題になっている。平成7年に死去した福田氏が生前に記したノート100冊以上の「福田メモ」が初めて全面的に開示された。田中角栄元首相と繰り広げた「角福戦争」のほか、「政権禅譲」を約束したとされる大平正芳元首相との「大福密約」の存否を詳細に検証。密約はなかったと結論づけている。

福田メモは、時々の政策や政局にまつわる考え方、派閥領袖(りょうしゅう)らと面会した際の会話、自民党総裁選の票読みなどについて備忘録的に書いたものだ。福田氏の長男の康夫元首相が所有しており、初めて検証された。

政局をめぐる生々しい記述も多い。昭和45年9月、当時の佐藤栄作首相が福田氏に「後は君以外にないよ、と考えて居たが、情報より総合すると 一、二心配になる点がある」と語ったとの記述もある。佐藤氏は福田氏への禅譲を検討していたが、断念した。

「評伝 福田赳夫」の共著者である成蹊大法学部の井上正也教授(本人提供)
「評伝 福田赳夫」の共著者である成蹊大法学部の井上正也教授(本人提供)

執筆者の一人、成蹊大法学部の井上正也教授は「福田氏という政治家は田中氏の敵役として描かれてきた。官僚出身の政策通で、官僚らの分厚い権力構造に守られて、成り上がりの田中氏に立ちはだかるイメージがあるが、非常にまっすぐで裏表のない人だ」と福田氏の印象を語る。

45年8月のメモには、事実上首相を決める自民党総裁選について「政治上最も厳粛なもの。利害打算や権力闘争の見地から行なわるべきでなく、あくまで国家百年の計に立って行わるべきだ」とあった。

福田氏は「数は力、力はカネ」を体現した田中氏とは対照的な立場をとり、経済対策についても「安定成長論」を掲げ、田中氏の「日本列島改造論」とは相いれなかった。井上氏は「福田氏に理想の政治観があったからこそ、皮肉なことに権力闘争を激化させることになったと思う」と語った。

51年の福田政権誕生前に、福田氏と大平氏が交わしたとされる「大福密約」は、①大平氏は福田氏を三木(武夫)氏の後継者に推す②福田氏は党務を大平氏に委ねる③党総裁任期を3年から2年にする―という内容。大平氏側は、2年後には福田氏が大平氏に政権を譲る約束だったと主張した。

これについて本書は「信頼できる一次史料からは確認できない」とした。福田メモには、文書が作られたとする会合の前後や、大平氏側近が文書の存在を吹聴し始めたころも含め記載がなかったという。文書は大平氏側による「情報戦の一環」であり、「最初から存在しなかったのではないか」とみている。

福田氏の功績については「抜群の政策能力で経済危機を抑え込み、戦後社会を繁栄へと導いた」と強調。外交面では、台湾に近かった福田氏が、日中国交正常化を推進し、日中平和友好条約の締結(53年)に尽力した際の裏話も詳述している。(沢田大典)

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