朝晴れエッセー

母の認知症・7月15日

母は40年余り、新舞踊、日舞、民謡など、数々の踊りをお弟子さんたちとともに楽しんできた。国内だけでなく外国にまで行って。

ある日、母が独り言のように口にした言葉がある。私はあまり気にも留めず聞き流してしまっていた。その後また同じような言葉を耳にした。「このごろ踊りを忘れちゃうんだよ」と。

お弟子さんに教えている最中、教えるべき次の振りが出てこず、頭が真っ白になり、そこで立ち往生してしまうのだという。

私の受け止めは、母も歳だな、忘れっぽくなったのかなぐらいだった。稽古熱心で、常に舞扇が手元にあった。だから踊りを忘れてしまうなんて、あり得ないことだった。

お弟子さんたちはどんな思いでいるのか心配になった。稽古の様子を見たいと思い、出稽古についていった。

そこで目にしたのは、指導しながら途中で動けなくなり、先に進めないでいる母の姿。これまでの母の焦りやつらさは本当だったんだと初めて気づかされた。これが認知症の一つのあらわれなのかと、ぞくっとした。

もっと早く気付くべきだった。母の切羽詰まった声に耳を傾けてあげるべきだった。私自身ののんきさが悔やまれた。見回すと踊りだけではなく、もっと気遣わなければならないことが現れてきていた。

母が亡くなって4年。男踊りを好んだ小柄な母の切れのいい、動きの激しい堂々としたあの踊りを、舞台の下からもう一度見たい。

吉沢孝子 (73) 茨城県つくば市

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