池袋公判

父親の上原義教さん、意見陳述全文

7、事故後の苦しみ

事故後、東京での街頭署名活動のため、私も上京しました。まだ気持ちの整理はついていませんでしたし、東京は殺伐としていいイメージがなかったのですが、私にも悔しい気持ちがあり、拓也君が一生懸命やっているから、ちょっとでもお手伝いできたら、と思ったからです。でも、たくさんの人が来てくれて、他人のことにこれだけ寄り添ってくれて、泣いたり語り掛けてくれた人もいて、真菜と莉子をこんなに思ってくれて、行ってよかったと思いました。そして、真菜もそんなに悪いところに住んでいたわけではないことが分かりました。私は、人前に出ることがとても苦手なのですが、街頭署名に参加して良かったと思っています。その後、沖縄でも街頭署名を行い、多くの方から署名をいただいて心から感謝しています。

8、裁判について

裁判の度に上京して、被害者参加していますが、毎回、何のために上京しているのか? と思ってしまいます。誰が悪いのか分かっているにも関わらず、加害者に寄り添っている気がするのです。まさかこんな裁判になるとは思っていませんでした。いったい誰が裁かれているのでしょうか。私たちが裁かれているような気がしますが、我慢しながら進んでいくしかありません。

被告人の弁護人に対しては、本当にそうだと信じて弁護しているの? と聞きたいです。私は車の整備士をしていたことがあり、車のことが分かるだけに余計に腹が立ちます。法律の素人が聴いていても、あれ? と思うことがあります。

被告人質問を聞いて、とても落ち込みました。あの人には何を言ってもダメなのかな、と。こんなに苦しんでいるのに、私たちの事故から何年かの気持ちをこれっぽっちも考えてないと感じました。反省の色がなく、まだ車のせいにしています。被告人質問の後、夜も眠れず、何日も身体が硬直したようになり、そんな体験は初めてでした。未だに気持ちも落ち込んだままです。それでも2人のために一生懸命やらないと、と気持ちを奮い立たせています。

9、今、真菜と莉子について思うこと

事故後に真菜の顔や手の傷を見て、莉子ちゃんの小さなご遺体も目の当たりにして、本当に苦しかったです。でも、不思議なことに、あんな2人を見たのに、まだ信じられないというか、戻ってきそうな感じもしています。二女が亡くなった時は、医師から病状の説明を受けたりしていたので、お別れする心の準備がありました。しかし、毎日のように電話で話していて元気いっぱいで、もうすぐ沖縄に戻ってくるはずだった真菜と莉子が、こんな形で突然亡くなったことは、今でもとても受け入れることができません。

真菜は、けっこう耳に残る声をしていたせいか、玄関をあけると真菜の声が聞こえたような気がすることがあります。辛くて全部片づけていた写真を、意見陳述のために出してきて、見たからかもしれません。親思いで、小さい頃から一貫して優しい子でした。妻と二女を亡くして、私を一番心配していた真菜が私より先に逝ってしまうなんて。愛する妻、娘、孫まで亡くなって、本当に神様がいるならなぜこんなことが起きるのか。真菜と莉子を返してくれ、というのが一番の気持ちです。

10、処罰感情について

私には、沖縄で娘たちとカフェをやろうという夢があり、それを実現しようとしていた矢先でした。真菜や莉子だけでなく、私たち遺族の夢も奪いました。私が今、心配なのは拓也君のことです。私は妻と娘を亡くす辛さを知っており、拓也君は一度に亡くしてしまったのですから。

飯塚さん。あなたも人の子なら、車のせいにはせず、自分が犯した罪に向き合ってください。あなたのお子さんやお孫さんに同じことが起きたら、反省もしない加害者を許すことは出来ますか?

被告人には刑務所に入ってほしいです。刑務所の中で反省する時間を持ってほしいからです。どんな処罰になっても真菜や莉子も戻ってきませんが、せめて反省だけでもしてほしい。それが私の願いです。以上

飯塚被告に禁錮7年求刑


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